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【精神論】己の限界を知り猫を愛せよ。
どうも、こんにちわ。ワイです。
いつも仲良くしていただきありがとうございます。
今回は内容的に今まで仲良くしてた人からも縁を切られるかもしれない内容を書いてみました。
ものすごく真面目な話なので、冗談ゼロで挑みたいと思う。
■私のツイートのポリシー■
私はTwitterで誰が見てるも関係なく好き勝手につぶやいている。
まぁ、Twitterとは元々そういったツールなのだが、フォロワーが増えてくると必然的に書く内容にも制限がかかってくるというのが最近の風潮だ。
例えば猫と暮らすことについてちょっといいことを言うとフォロワーが増えるが、ドギツイ下ネタを言うとあからさまに数人のフォロワーが減る。
これがフォロワーを何千何万と抱える「インフルエンサー」であれば、必然的に「誰かに読んでもらうための考え込まれたツイート」になってくるが、私はただのしがない無職の一般人であり、なんの影響力もないので垢分けなどもせず好き勝手にツイートしている。
下ネタも言わないと死んでしまうのでこれからも下品なこともバンバン言う。
そして今そんな自由奔放な私を嫌じゃないと思ってくれている変わった人達がフォロワーとして残ってくれている。
そんな自由な私にも、ツイートする時にある程度のポリシーがある。
・オススメのものは自分で使って本当に良かったものを勧める。
・でもクソだったものは皆にも使って欲しくないからクソだとハッキリ言う。
・特定の団体や個人の支援や、命の期限などのリツイートをしない。
・皆が見て不快に感じる動物関連のニュースも取り上げない。
ということだ。
今回は後者について書きたいと思う。
■自分の限界を考える■
私は常々「猫は好きだが全ての猫を救うには限界がある」と思っている。
当たり前だが猫を育てるにはまず自分自身の衣食住が整ってなければいけないし、何十匹も猫を育てるためには充分な広さの家も潤沢な資金もないといけないが、自分にはそんな環境は用意できない。
そのため、迷い猫などのRTはするが、
「〇〇ちゃんの病気のためにいついつまでにいくらいくら必要です!!」
などの個人や団体への支援の呼びかけのリツイートはしないことにしている。
同時に「命の期限!!〇月〇日まで!!」という里親や引き取り募集などのリツイートもしないことにしている。
(※稀にすることもあるが本当に稀である。また、そのようなツイートを否定するつもりはない。)
動物虐待の犯人を私刑に処するリツイートもしない。
単純に不快だし、悲しい気持ちになりすぎて数日眠れなくなる。
私に国家を動かせるほどの力があれば、そういう輩は片っ端からぶっ殺しに行くが、そんな力は無い。
あの滝沢ガレソすらその手の話題は敬遠するレベルだ。
理由は「全ての猫を救えない」からだ。
そりゃ、たとえ何もできなかろうが、リツイートしないよりしたほうがまだいいと思われるかもしれないが、
私の性格上、(これを決して悪いと言っている訳ではなくね)怯えた目でこちらを見据えている子猫の命の期限があと一週間と迫っているようなツイートをリツイートしておきながら、次の瞬間には「今日お寿司美味しかったー♡」とか呑気なことを言ってるのは違う気がするからだ。
これを言うか言うまいかは非常に悩んだところだが、こんな私にも日々色々なフォロワーから色々な悩みのDMをいただく。
そういった私を信頼してくれる人たちのためにも、いい機会なのでここで言っておこうと思う。
そりゃ、この世に生を受けた健康でも病気でも障害があっても、全ての猫を引き取って幸せにしてあげたいに決まってる。
でもきれいごとでは済まされないこともある。
「猫が好きだ」と高らかに宣言しておきながら、命の期限や支援をリツイートするだけして結局何もしないのは偽善と同じだと、私はどうしても自分を責めてしまう。
私の限界は「目の前にいる猫を一生を掛けて健康に幸せに生かして猫生を全うさせる」ということだった。
私にはそれ以上のことはできない。
これが私のできる限界だと今でも思っている。
■人には人の限界がある■
私はたまたま愛猫のへちまを引き取ってたまたま病気を早期発見できてたまたまいいドクターに巡り会えてたまたまへちま中心の生活を送ることが出来、たまたまへちまが25歳まで生き続けてくれたが、それはたまたまへちが強かったのと、たまたま周りの環境に恵まれただけだった。
一緒になって一生をかけてかわいがってくれた元夫、仕事の融通を効かせてくれた会社、そういった環境があったからこそできる話で、私が電通かなんかで働いてて子供もいて親の介護もして…などだったらへちまに全てを捧げられなかったはずだ。
そんなたまたまラッキーだった私が、たまたま25歳まで健やかに育ったへちまのことをエラソーに語るのもどうなのか??と常に思っている。
フォロワーからよく有難い言葉をいただく。
「如月さんのようにへちまさんに全力を注いでる生き方を見て猫への接し方を改めるようになりました。」と。
本当にありがたい。
でも、そんなんじゃない。
私は全然出来ていなかった。
私だってへちまに苛立って怒鳴り散らしたこともあったし、自分を優先して遊び呆けていたことも、多忙に甘んじて終電帰りを続けてへちまに辛く寂しい思いをさせたことがたくさんあった。
そんな中でたまたまへちまが私を許容し、愛し、そばに居てくれたからここまで来られたのだ。
見ず知らずの何処の馬の骨とも分からないような私にそんな優しい言葉を掛けてくれ、猫への接し方を見つめ直し、これからもっともっと猫を大事にしようと思ってくれるあなたがたの方が、よっぽど優しくて立派なのである。
周りの環境、へちまの強さ、獣医さんの頑張り、そして応援してくれる人々の言葉があってここまで来られたので、当事者の私は台風の目の中にいるようで、鼻を垂らしたままぼーっとしてほとんど何もしていないと思っている。
だから私のような「たまたまそうできた」やり方を見て「私にはこんなこと出来ないわ…」と落ち込んだり思い詰める必要は1ミリも無い。
そんなことを考える時点でその人は猫を本気で愛しているし、その人の限界まで頑張っていると思うのだ。
だからこそ私は自分のせまーい経験則の中で、もしかしたらこの世の誰かにとって一人でもいいから有益な情報となり、少しでも猫と一緒にいられれば…と思い、エラソーなnoteやTwitterを続けている。
■動物愛護とは何かを自問自答する日々■
結論、私は「うちの子がいちばん」を極めるのが最も正しいと思っている。
へちまの生死を本気で考え始めた8年ほど前から、「自分はガキの頃からへちまと過ごしているが、平気で牛や鳥の肉を食い、動物実験によって安全が立証された薬を飲み、化粧品を使い、日々笑いながら過ごしているが、それは偽善ではないのだろうか」と考えたことがある。
少し前に本革を使ったものを使用するか否かなども考えていた。
ちょっとショックなことがあった。
— 如月紅庵 (@eijikun_gekiosi) January 27, 2023
ワイは過激な動物愛護派ではない。普通に焼肉も食うしケンタッキーも食う。
けどなるべく動物の革を使ってる本革製品は使わないようにしてる。
3年前に買った財布、超絶気に入っててもうこれ以上の財布には出会えないと思ってる。一生使いたい。もちろんよく調べて
しかしそれを極めると過激派ヴィーガンになってしまうし、今更生活スタイルを変えることは出来ない。
動物愛護や環境保護を突き詰めていけば人間なんて死んだ方がいいという結論になってしまうがそれでは元も子もない。
猫と暮らしている人なら一度はそんなことを考えた人もいるのでは無いだろうか。
そう、これだって自分に出来る限界なのだ。
命をいただくことに感謝をして「いただきます」と唱え、日々健康に過ごすことが、今自分が生きていくために犠牲になってくれている命への最前の還元方法なのかなってことだ。
それと似たようなことだが、この世の全ての猫を救えないなら、自分の目の前にいる愛猫を全力で愛することが最前の方法だと私は思う。
考えてもみてほしい。
全ての猫を救いたいからと闇雲に支援をしまくって手元に金が無くなったタイミングで自分ちの猫がFIPにでも掛かって治療ができなくなったらなんの意味もないだろう。
出来ないかもしれないことに手を出すより確実に出来ることをしたほうがいい。
もし金が1万円2万円余ったら、愛猫が腎臓病にならないよう腎臓病予防のフードを買い溜めるとか、少し高いけど安全な暖房器具に買い換えるとか、買うのを戸惑ってた猫用災害セットのデラックス版を買うとか、災害時に猫たちを寒くさせないようにする非常用電源の馬鹿デカいのを買っておくとか、金があれば愛猫のためにやることは山のようにある。
■私にできることをする■
愛猫のへちま亡き今、へちまに遣っていた金を自分に回せるようになった。
しかし現実問題、恥ずかしながら全てをへちまに遣ってしまっていた私には貯金がなかったので、40も近くになって金を貯めようとしている。
それが今私にできる事だ。
そして知り合いで個人で保護猫活動をしてる人や、今まで散々お世話になった信頼出来るメーカーへ、ほんのわずかばかりの支援をしている。
へちまが遺した使えそうなものなどは、困ってる人やフォロワーに貰ってもらった。
そして、もし私の目の前に、27年前の嵐の日のように、目の前で行き倒れようとしている猫がいたら、助ける他ない。
その為に私は万全の準備ができるよう、金を貯めている。
今私に出来ることはそれが限界だからだ。
猫と暮らしてる皆にも、自分の限界を心得、今目の前にいる猫へ限界ギリギリまでの全力の愛と情熱を注いで欲しい。
猫は賢いから、あなたの気持ちに必ず応え、寄り添ってくれるだろう。
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