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イケマツジュンのこと

このアカウントをはじめるので、ちょっと話しておこうかなと思います。

僕は十数年前に病気をして離婚もして全てを失って放浪の旅に出ました。旅は帰る場所があるから旅であって、帰る場所が無いのは「放浪」と言います。

すべてを失ったとき人間は自由になるのでしょうか。ちがいます。喪失の先にあるものは放浪です。だから誰にも会いたくなかったので、乗り捨てられたレンタカーを運ぶシゴトを1年近くしていました。

これを回送業と言うのですが、運転している時間より歩く時間の方が長いシゴトでした。まぁ誤解を恐れずに言うと社会の底辺にいる人たちに触れる日々でした。回送業の売上トップ成績のヒトは棄民のような人が多かったです。なんか炎上しそうですね。でもこの体験があったから大手出版社の編集者と出会うことが出来ました。

回送業の体験記の本はまだにありません。それは僕にとって何を意味するのかわからなかったのですが、今回書こうと思いました。彼女はいまでは出世してWEB版編集長です。人生は何が起こるか分かりません。だから面白い。

でもそう言えるようになるまで10年かかりました。深夜特急・沢木幸太郎さんも香港からロンドンまでのバスの旅を執筆したのは旅を終えてから10年後だったそうです。

体験は枯れるまでに10年かかる。それはキャンプ・ファイヤーの薪は乾いた方が良く燃えるのに似ています。生ナマしいハナシは生木のように燃えない。文章も同じで、煙ばかり出て煙たくて読めないのかもしれません。

それから、紙の小説と、noteに書く小説は違います。文体やトーンが違うからです。まぁそれは細かいハナシなので割愛しますが、僕はnoteで文章を書くことへの向き合い方が変化しました。文章を通じて対話ができるのは書き手にとってかけがえの体験ですが「書き手は読み手によって成長する」というリアルを体験したからです。

note圏内には出会いや対話が溢れています。それは書き手(読み手でもある)にとって貴重な場所であり、無形資産とも言える財産です。これを何と呼べばいいのか。まだわかりません。「お互いさま・無形資産」とでも言いましょうか。

大袈裟に聞こえるかもしれませんが、多くを喪失された人生に無形資産は大事な意味を持ちます。それは体験した人でなければ共有できないかもしれません。しかしnote圏外と交わることでその「何か」は別の「何か」に変化する気がしています。重ねて言います。人生は何が起こるか分かりません。だから面白い。

この続きは、このアカウントで作品を読んでもらえたら嬉しいです。分かち合える何かを書きたいと思います。新しいイケマツジュンをよろしくおねがいします。

池松潤








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