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「バブルはソフトクリームのように」第1話「溶けゆく夏の日」

どこまでも続く砂浜。みんなが甘く溶けてしまうソフトクリームのような恋も仕事も煌めいていた時間があった。ふと現実に引き戻された孤独な目覚めとともにその思い出はゆっくり溶けていく。これはあなたへの手紙かもしれない。

「バブルはソフトクリームのように」

プロローグ「溶けゆく夏の日」

あなたはあの日を覚えているだろうか。

高速道路を「浜松」で降りて、もう1時間以上走っていた。
バイパスには、名古屋方面へ向かう大型トラックがつらなって走っている。
長距離トラックのドライバーが休憩する潮見坂の食堂が見えてきた。
国道をしばらく走ると、右側に営業しているかしていないかわからない酒屋がある。
そこを左に曲がると、養豚場の臭いがした。二日酔いの身体には厳しい匂いだった。

「ザ・田舎の匂いだね」
「もうすぐだよ」

都会的なリゾートは嫌いだった。
バブルは弾けたといえど、不動産関係者が影響を受けているだけで、世間全体はそれほど冷え込んでいなかった。

1990年の夏は、どんよりとした雲が覆いかぶさりつつあったが、まだ青空だった。

「こんな道、どこでみつけたの?」
「バイクで一人旅をしているときに見つけたんだ。18のとき」
「へぇ、なんかすごいね」

道は雑木林の中をくねくねと曲がりながら、徐々に下り坂になっていく。
側溝は深く、脱輪したら大変そうだ。
サンルーフを開けると彼女が目を輝かせた。

「うわー。なんかドキドキする」
「もうすぐ、見えるよ」

道が一直線になると、目の前に海が広がった。
「わー!すごーい!」

海岸沿いは砂利道に変わっていた。左に曲がって、朽ち果てた漁師小屋の方向へ向かう。
「最初に来た頃は、この砂利道もなくて、まだ砂防ブロックも無かったんだ」
「ココすごい!リスペクトするわぁ」

海岸の左右10km以上には人影が見当たらない。仮に誰かがいたとしても、それは「月刊・釣びと」に登場するような人々だけだ。
初めてここに来たとき、どこまでも続く砂丘のような海岸線が広がり、パジェロが走行テストをしているのを見た。

「夏だね」
「うん、たしかに夏だね」

大きなラジカセのスイッチを入れて、缶のバドワイザーを開ける。
泡がはじける音が心地よい。
サングラス越しに波打ち際を走る彼女の姿がスローモーションで映し出された。
どこまでも蒼い空。まるで絵に描いたように、汚れを知らない景色がキラキラと輝いていた。

ラジカセのCDから、ヴァニラ・アイスの「アイスアイスベイビー」が流れてきた。
「全然合わない。やっぱ夏は演歌だよね」
「いやだぁ」
「やっぱり演歌だよ。日本人の心だ」
「演歌のCDなんか持ってるの?」
「ない」

折りたたみのビーチ・チェアから手を伸ばすと、アイスボックスの中の2本目のバドワイザーを手にする。
青い海がどこまでも広がり、砂浜は果てしなく続いていた。

「海、入ってこよーかなー」

彼女は水着に着替えると、波に向かって駆けていった。
すべてがキラキラと輝いている。
青いビキニが小さくなり、クーラーボックスから2本目のバドワイザー缶を取り出した。

こんなウエストコーストのような場所があるなんて、誰も知らないだろう。
街での遊びにはもう飽きていた。
自分だけの秘密の場所のはずだったのに、成り行きでこうなってしまった。
今頃、編集スタジオでは仮編集が続いているのだろうか。
仕事を休んできた背徳感とアルコールが、沈みがちな気分を高めてくれる。

仰ぎ見る空は、まだ陽が高い。
昨晩浴びるように飲んだテキーラのことも、そのあと口にできないほど乱れたことも、「本当の私はこんなのじゃないんです」という言い訳も、陽が沈む頃には少しは気持ちを和らげてくれるのだろうか。

「すごいよ!海、気持ちよかったー!」
「よかったね.....」
「あれ?入らないの?」

クーラーボックスのアイスクリームはまだ溶けていない。
あごに手をあてて、彼女に口づけをする。
熱い風が、僕たちの頬をかすめていった。

砂浜に敷いた大きなビーチタオルに寝転ぶと、汗が吸い取られる。
彼女の体は海で冷たかった。
誰もいない海。
僕たちはココロの穴を埋めあった。
波は大きくなり、風は強くなっていく。

溶けていく夏はまだ終わりそうもない。

つづく

#バブルはソフトクリームのように

「バブルはソフトクリームのように」
溶けてしまった甘く儚い夢。かつて日本の青春と呼ばれたバブル時代。みんながソフトクリームのような甘い夢を手にして恋も仕事も煌めいていた。あの時代がもたらしたのは何だったのか?そして何を失ったのか?これは単なるノスタルジーではなく「バブルって本当はどんな時代だったの?」という現代の若者たちの問いに応える物語。失ったものを見つめ直し、現代日本に必要な新たな価値を探る。過去の甘さの中に、未来への手がかりを求めるショートストーリーがはじまる。コレはあなたへの手紙かもしれない。

☑第1話: 「溶けゆく夏の日」
第2話: 「ソフトクリームの街」
第3話: 「ソフトクリームが溶ける時」
第4話: 「冷めたソフトクリーム」
第5話: 「再会の約束はソフトクリームあの味」
第6話: 「バブルの夢はチョコレート・ディップ」
第7話: 「未来へのソフトクリーム」
第8話: 「風に溶けるソフトクリーム」
第9話: 「ソフトクリームを追いかけて」
第10話: 「新しいソフトクリームを探して」

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