昼行灯おじさん事件
これは2022年12月8日「私の学び直し・日本経済新聞」に投稿したものを再掲載したものです。
もうずいぶん前から「何をやってるか解からないオジサン」の存在を大企業で見かけなくなりました。若い方は想像もつかないでしょうけど平成の前半まで(リーマンショック以前)は映画・釣りバカ日誌のハマちゃん(西田敏行さん)のような人が大きな会社の部門には一人くらい居たのです。いまでは信じられないだろうけど、どんな大企業にも「昼行燈(ひるあんどん)」と呼ばれるオジサンがいました。
その「昼行燈オジサン」は何をしているかと言うと、緊急事態対処の役割を担っていたり(社員の不祥事の後始末とか)、見えないところで役員の汚れ仕事をしていたり(バブルまで総会屋と呼ばれるヒトが沢山いた)、社外には言い難い仕事をこなしていたのです(事故・事件・性的スキャンダル系など色んなこと)いま思えば、昼行燈オジサンは大企業の本音と建前の狭間を埋める存在だったのかもしれません。
僕が新人だったころ(広告会社時代)にネットなどありません。新聞広告のフィルム原稿を地方版に送る場合、通常のモノクロ原稿なら掲載日まで中3日で間に合うんですけど、カラー原稿を送るには1週間以上前に送らなきゃならないので、どうしても間に合わないことがあったんです。
クライアントの希望の色が試し刷りでなかなか出ない。色校正を何度繰り返してもうまくいかない。もう間に合わない。絶望的です。バイク便もない時代ですから手段がありません。深夜ですから会社に電話しても誰もいません。ケータイもない時代ですから連絡も相談もできません。とりあえず翌朝飛行機で誰か(オレか)飛ぶしかないのかなぁとオフィスに戻ったんです。そしたら昼行燈オジサンがいるではないですか。その理由は女性の家から追い出されて会社に家の鍵を忘れたので(家に帰ってなかったから)赤い顔してゴソゴソやってたんですよ。僕は昼行燈オジサンを軽蔑していたんだけど、ボヤイたら「ちょっと。ついてこい」と言われました。
昼行燈オジサンは局長室に行くとお祝いに飾ってあった金箔入りの一升瓶の日本酒をつかんで、どこから探してきたのか風呂敷に包みました。そしてタクシーに乗ると貨物列車の操車場に行ったんです。向かう途中で時刻表を睨んでるんですよ。それは貨物列車の時刻表だったんですけど、そんなのなんで持ってるんだ?。変なおじさんだなと思いました。
立ち入り禁止の貨物操車場をヒョイヒョイ歩いていくのについていくと、乗務員さんらしきヒトをみつけて「いやぁよかった。またすいません。コレで運んでもらえますか。この前みたいに。あ。あとコレ巨人戦のチケット。お子さんとどうぞ」って一緒に渡すんですよ。もう訳わからん状態です。
またって何度もやってるのか?。そして「おまえ。チャンと挨拶しろ!」とか叱られてですね、ペコリと深々と頭をさげたら「いやぁ。大変だねぇお兄さんも」って優しく言ってくれたんです。もう泣きそうでした。いや泣いた。そのあと2人で朝までやってる居酒屋で飲みました。もちろん昼行燈オジサンへの軽蔑などどっかへ消えてました。
では、昼行燈オジサンにシゴトと遊びの境目はあったのでしょうか。僕はなかったと思います。何故なら、シゴトと遊びの中間の「何か」には色んな事があると思うんです。でも社会の隙間がだんだん狭くなって、遂には無くなってしまいました。それを懐古主義で語りたくはありません。だって若手には何の意味もないですから。
しかし、いつの時代も「理想と現実」のギャップがあるように「簡単には解決できない」ことがあります。それを「難しいですよねぇ」って言葉で片付けるのはどうなのかと思うのです。だって「簡単には解決できない」ことに「何か大事なこと」が埋まっているのですから。しかし昼行燈オジサンも時代と共に居なくなりました。でもこの感覚を単なる懐かしさで終わらせたくありません。
長くなるので詳細は割愛しますが、先日note主催の #オウンドメディアカンファレンス に出席してこの5年を振り返ったnoteを書きました。note社のヒトでも最近入った方だと知らないnoteユーザーとの近世史です。
noteを通じてリアルに出会った千人を超える若者たちから学んだことは、価値観の変化や思考様式の変化にあわせて今までのスキルを再定義すること。そしてその上に新しい情報アウトプットやコミュニティ形成のスキルを積み重ねることでした。
学び直しとは、単純に新しいスキルを学ぶことと思いガチですが、過去と未来の狭間を繋ぎ合わせるものではないでしょうか。それは自分の経験を活かす、OSのアップデートから始まるのだと思います。だって全く新しいことを学ぶだけなら若い世代の方が向いているのですから。
未来へ続く私の学び直し。それは「価値の生成」をすること。新しい価値をジェネレートすることです。そのための「新しい知識」であり、そこから生み出す「新しい知恵」が、新しい価値をジェネレート(生成)するのだと思います。
だからあともう少し頑張ってみようと思うのです。あの日背中で教えてくれた昼行灯オジサンの想いや、フィルムを運んでくれた乗務員さんに感謝を忘れないためにも。
アップデートし続ける、新しいイケマツ・ジュンをよろしくおねがいします。
ではまた。