「バブルはソフトクリームのように」第2話「ソフトクリームの街」
むかしむかし、「円」が世界で一番強かった頃があった。東京はまるでソフトクリームの街。バブル経済の頂点は過ぎたけれど、その余韻はまだ街を覆っていた。贅沢の中でソフトクリームがじわりと溶けるように、東京の街もじわりとその輝きを失いつつあったけど、それでも塩をかけるとソフトクリームはもっと甘くなる。これはあなたへの手紙かもしれない。
「ねぇ、アッコ。なんでここにいるの?」
「会いたくなったの。だって世界が終わったら会えないし」
「まだ世界は終わらないって」
「わかんないよ。明日大地震が起こるかもしれない」
「まぁそうかもね。でも僕たちは生きてる」
「だから、会いたいって思ったの」
天国はたしかにある。人は死ぬと魂は空へ昇っていくと言われるけど、誰もその天国に辿り着けない。なぜなら雲に触れた瞬間、雨となって地上へ戻ってしまうから。だから本当の天国なんて誰も見たことがない。でももし、最後に行き着く場所を天国と呼ぶなら、このバブルの残り香の漂う東京こそ、その天国なのかもしれない。
「ふーん…それで、何をしたいの?」
「うーん、特に何も。ただ、一緒にいたいだけ」
「じゃあ、もう少し近くに来てよ」
アッコは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んで背の高い彼をみあげた。彼女の瞳には、夜景のネオンが反射してきらめいている。その光の中に何か特別な感情を見つけたような気がして、そのまま彼女の唇に自分の唇を絡めた。
「ねぇ、あのビルのネオン、カラースプレーをかけたみたいじゃない?」
「変なこと言うね、アッコは」
「そうかも。でもそんな私が好きでしょ?」
「だからココにいるのかも」
「ねぇ、世界が終わっても、こうしていられるかな?」
「たぶん。きっと。」
彼の答えに、アッコはそっと微笑んで、そしてもう一度彼に近づいた。唇が触れ合うたびに、世界が静まり返り、二人だけの時間が流れているように感じられる。アッコは一瞬、彼の肩に頭を預けてから、ふと顔を上げて言った。
「ねぇ、また会えるといいな」
「うん、きっとどこかでまた会えるよ」
「世界のどこかでね。だってあなたのことスキだから」
その言葉に胸の奥が少しだけ痛むのを感じたが、それでも優しい笑顔を浮かべて彼女を見つめ続けた。
忙しさの中で、二人が会うことは少なくなっていった。そんなある日、結婚式の招待状が届いた。
結婚式の日、彼は少し迷いながらも、教会に足を運んだ。アッコは父親と腕を組み、バージンロードをゆっくりと歩いてくる。
彼女が、彼の前を通り過ぎる瞬間、彼女の唇が「ありがとう」と微かに動くのが見えた。彼はそれに小さく頷くと、アッコは一瞬だけ彼を見つめてから、視線を神父へと戻した。
式が終わり、教会の外でブーケトスを見届けてから、静かにその場を後にする。足元の落ち葉を踏むたびに、軽やかな音が響いた。彼女には彼女の人生があり、僕には僕の人生がある。ただ、それだけのことだ。
もうすぐ秋が来る。
目を閉じると、網膜に熱く焼けた砂浜と太陽が浮かび上がる。
アッコの時代は、まるで風のように過ぎ去っていった。季節外れの熱い風が僕を追い越していく。もうあの風は二度と戻ってこない。だけど心のどこかでその風を感じ続けている。
ソフトクリームが溶けるように、いつかはすべての思い出も、少しずつ形を変えて失っていく。でもあの甘さだけは心の中に残り続けるのかもしれない。
☑第1話: 「溶けゆく夏の日」
☑第2話: 「ソフトクリームの街」
第3話: 「ソフトクリームが溶ける時」
第4話: 「冷めたソフトクリーム」
第5話: 「再会の約束はソフトクリームあの味」
第6話: 「バブルの夢はチョコレート・ディップ」
第7話: 「未来へのソフトクリーム」
第8話: 「風に溶けるソフトクリーム」
第9話: 「ソフトクリームを追いかけて」
第10話: 「新しいソフトクリームを探して」