3.11の奇跡と使命
「あの日、みんなの祈りが通じたのかもしれない。」
ふるさとに300年以上信仰されている尾崎神社がある。海の神様が祀られ、漁師を嵐から守ってくれていた。海から20mほど離れたその神社は、地域の象徴として愛されてきた。頂上には神殿がおかれ、伝統行事の度にお供えものがされてきた。
建立から300年以上経った2011年3月11日、未曾有の大震災が起きた。気仙沼の松崎尾崎地区も大津波に飲み込まれた。高齢者が多く、長距離の移動はできなかった。そのため、一番近いこの神社に避難した人が多かった。神社の高さは9m。時間が経つにつれ津波の高さが上がってきた。6m、7m、8mと上がってきた。「もうダメか」と思われた時、津波の上昇が止まった。神社に避難した33人全員が無事だった。もしかすると、300年分の祈りが届いたのかもしれない。
震災後、尾崎地区には人が住んでいない。危険区域に指定され、住むことができなくなったのだ。今はまだ空き地だが、震災復興の象徴として緑地公園となる予定だ。
この先何百年経とうとも、この地に人が住むことはないかもしれない。しかし、私や先祖は、たしかにここで暮らしていて、様々な歴史や文化があった。そこに暮らす人がいなくても、そういった文化や歴史は永遠に受け継がれて欲しいと願っている。
<後書き>
津波に逃げ遅れた人もいます。本文のとおり、生き残った人もいます。
私は、その日の朝、気仙沼を出て上京しました。運良く生き残った一人として、そこで暮らしていた最後の世代として、地域の歴史と文化を語り継いでいきます。
それが私の使命だと思っています。