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「私は今まで失敗をしたことがありません」という新卒の先生から考える

先日、講演会の後、校長先生と話していて興味深い話を聞いた。

最近採用された若い先生で「私は今まで失敗をしたことがありません」と自己紹介の時に言った先生がいたとのことだ。びっくりしたのだそうだが、明るく爽やかな先生であったことから、そうなのかなぁと思っていたそうだ。

ところが2、3ヶ月すると生徒との関係が上手くいかなくなってしまって、「私はこの仕事向いていないのでしょうか」
と言うようになってしまったのだそうだ。校長先生はか
「いやいやこれからでしょう」
と話をしたのだそうだが、なんでこの先生がこうなってしまったのかを考えたんだそうだ。

で、思ったのは、今まで避けてきたのではないかということであった。


困難が予想される時、それを避けて逃げてきたのではないかということなのだ。まあ、ダメな時は逃げるのもいい。しかし、楽な方へ楽な方へと逃げてきて、自分自身のことであればそれでもなんとか行くだろうけどれども、相手がってそれが子供であるとそう簡単には行かない。仕事としては逃げるわけにもいかないということから、うまくいかなくなってしまったのではないかというのだ。

なるほどである。


今、高校も大学も推薦試験で入ってしまって、受験勉強などをしていないという人も珍しくない。いや、別に推薦試験がダメで、受験が必要だということを言いたいのではない。ただ、追い込まれてそれを乗り切らなければ前に進めない経験が少なくなってきているのは、そうだろうなあと思っている。



それから、私は、この先生は、自分がやりたいことをやってきていないんじゃないかなあとも思った。


人がどう言おうと、自分が好きなことをやるという経験は大事。周りから、
「そんなことやって何か意味あるの?」
と言われても、それに対して
『意味があるかどうかはわからないけれども、好きだからやっている』
という経験。周りが相手にしなくなってもやり続けること。「そんなことやって何か意味あるの?」って私は随分母親に言われた(^^)。

こういう時って、自分が好きでやっているから、何か問題があっても自分でやりきるしかない。または、同好の士を見つけて助けてもらうしかない。



自分のことを言うのもなんだけど、一升瓶に般若心経を刻したところで、何か意味あるの?って思われるだけである。私は、単純にこれが面白いからやっている。

般若湯入れ(日本酒は、般若湯という異名があり、それを入れる瓶だから、一升瓶を般若湯入れと呼んでいる)に、般若心経を刻したら面白いんじゃね?というほとんど罰当たりのような、アイディアで遊んでみたら、これが素晴らしい。ちょうど一升瓶を一周するぐらいで般若心経が刻し終わる。あー楽しい!と思って、もはや数十本刻している。



思う通りになんか、いかない。
いいようにも、悪いようにも人生は思う通りにはいかない。


一時退避で逃げることは大事。だけど、それが人生の指針になってしまったら、楽しい人生は送ることができない。

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失敗は、間違いではない。
失敗は、挑戦した証。
挑戦していれば、そのうちなんとかなる。
それを若いうちに人生の指針にしたいなあ。

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池田修
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