探しものは本当にさがしているものなのか@札幌滞在記
8月から滞在している北海道。
浦幌-阿寒-浦幌-札幌
そのほかにも旭川・東川町・釧路・知床・函館・小樽と。
気づけば5ヶ月目に突入していた。
ひとつ前の滞在先、福井でお世話になっていた方が浜中町の地域おこしをされていたこともあって、北海道の滞在は長めに居てみた方が面白いよ、といわれていた。坂野さん、よんよん元気かな。
その結果の5ヶ月。
(いやまてまて。シンプルに長く居過ぎやないかい)
というツッコミは真摯に受け止めます、はい。
それだけ北海道の環境は、わたしにフィットしていた。居心地がよかったなぁ。
正直なところ、これからどうしていこうの選択肢が枝分かれし過ぎて迷走していたここ最近。それもあって、次へ進む気力も低下していたから長引いたってのもある。
だけどなぜが12月に入って、いきなり。
何かに後ろを押されるかのように「次へ進もう。」と思う瞬間があった。
なんだろうね、こういう感覚。
言語化はむつかしいけれど、こういう直感がタイミングな気がする。
そういうわけで12月をもって北海道滞在に区切りをつけることを決めた。
さぁ、今回は札幌でのこと、わたしのこれからの方向や感じたことあれこれ。
かなり変化もあり、気づきも多き滞在だったので、またここに記していきますね。
札幌にうつった理由
これまで道東ライフを満喫していたのにいきなり都市へ。なんで?と思うかもしれない。
その理由は、あるクラファンの内容がきっかけだった。
UNTAPPED HOSTELのこのクラファン。書店とシェルターを同じ空間につくるという記事をみつけたときの衝撃は今でも忘れられない。
大学で福祉を学んでいた身として、ずっと違和感を抱くもののひとつが、”福祉的支援を行うことで、どんどん社会との溝が深まる方向へ向かう”ということ。支援はすごく、すごく大切なこと。その必要性は身をもって感じているけれど、福祉のおかれる立ち位置が、どうしたって孤立してしまう。
私たちの生活そのものを考えること、つまり「生きること」を考えるものなのに。なのに、日本社会では「生きること」の優先順位が低いからか、あってほしい方向からどんどん離れていく。
もっとみんなのもので、みんなで考えるものなのに、限定的な人だけのものに向かってしまっているモヤモヤ。
それらを抱えていたわたしにとって、公共の空間に書店とシェルターをつくる決断をした神さんを心底尊敬した。そしたら、たまたま道内だったわけで、これはいってみるしかないと。
その理由を持ち下げて、札幌へ移動してきたんだ。
新しい動きをみて
ここではヘルパーをしながら、そんな新しい動きを肌で感じたり、周りの人の表情、環境、そして表現。そんなものを日々吸収しながら過ごしていた。
わたしができることはヘルパーの仕事くらいだけど、seesawbooksを初めとしたさまざまな動きの裏側の苦労は、ひしひしと感じられた。
なんでもそうだけれど、切り取られた表面だけでなく、物事のみえない背景に常に想像力を働かせていきたい、そのように思う。
それでも、オープン当初のいろんな人が訪れる姿や、応援にくる人たち、そんな空間はたまらなくいとおしくて輝いているようにみえた。
その場にいれたことにまず感謝。ほんとに。
札幌北区の魅力
これまでどちらかというと、都市部から離れた地域に滞在することばかりだった私。だから、都市部のイメージは東京出身の私にとって、発展していく半面、いろんなものが埋もれてしまう場所だと思っていた。
だけど、どうもその考えはここではあてはまらなかったんだよなぁ。
ヘルパーの仕事がひと段落ついたあと、周りの方々におすすめされた場所へ足を運んでお話をする、環境に身を置く、を繰り返していたとき。
(おやおや。ナイスすぎるお店と人生の先輩方が多くないか…?)
という感想がまずあったのだ。
おすすめされていた飲食店で働かれている方のお話を聴いていて印象的だったことがある。
それは
「ここらへんの飲食店は、同業者でいがみ合わずに、お互いをね、高め合う同志のように考えているような人たちが多いと思うんだ。」
ということばだった。
たしかになぁ。
たった1か月程度の滞在をしている私でも、それは大いに共感することだった。みんなで応援し合ったり、互いに感化されてどんどんアップデートしていくような雰囲気。
あとは、若い世代がやってみたいことを行動にうつしやすいような環境を作ってくれているところも魅力的だ。私と同世代のみなぎるエネルギーをいろんな場所で感じられる機会があるのは、こういう環境を整えてくれるナイスな存在がいるからなんだと思う。
飽和してしまいやすいと思っていた都市部でのつながりというものが、ここでは世代関係なく手を取り合ってつながっているように感じられた。
それぞれの表現の仕方もみなステキで、これからも心から応援し続けたい人たちだったんだ。
わたしが感じたことと進み方
さてさて。学びの旅が後半戦に向かっているわたし。1番はじめの南阿蘇での生活だって、ついこの前の出来事かのように覚えているのに、もう2021年が終わってしまう。
札幌での滞在は、人との会話やいろんなコミュニティの中でハッと気付かされたり、自分の中での大事な価値観を再認識したりする機会が多かった。
全部書いてたら目が回ること間違いなしなので、とりわけ重要なものを綴っていこうか…!
この生活に求めすぎていた
わたしが選んだこの山あり谷あり人生コースに対してなんら後悔はない。
っのだけれども。
気づけば、「意味あるものにしなければ、何か形として残さねば」っていう焦燥感が常に頭の片隅に居続けていた。
それが時間が経つにつれ、どんどん肥大化していったように思う。
「この経験をしていることにこそ意味がある」
という今の生活の核の部分を忘れて過ごし続けていたんだよね。
”なおちゃんが今ここにいること自体、素晴らしいことなんだよ”と言ってくださった方々、ほんとうにありがとう。
そもそもわたしがこの生活を選ばなかったら…
足を踏み入れることのなかった場所。
見ることのなかった光景。
出会うことのなかった人たち。
そう。全てはわたしが動いた先に得たものばかりだった。
人は、欲に目がいきすぎると本当に大事なものを見失うようで。
探し物を手当たり次第探そうとするのではなくて、なぜ探してるかを考えないと。
その探し物が、実は自分には必要がなかったり、見つからなくてもどうってことないものかもしれないし。
現に私もそうだったように。
少し先の生活を早くどうにかしたい気持ちのあまり、何にも自分の中では変わることのなかった答えに気づけていなかった。
とくに仕事や働くというものに対してがそうなんだけど。
わたしにとってのそれらは、自分が望み、人生レベルでやっていきたいこととは別の世界線だったわけ。
なのに、それを無理やり仕事としてつなげて考えていた。結論を急ぐあまりに。そりゃあ、いつもなんか噛み合わないなあ、となるわけなのよ。
就活時期にも空欄のままだった
”仕事を通してどうなりたいか、どうしていきたいか、どんな人が働く人として理想か”というものは、今も変わらず空欄のまま。
むしろそれがわたしの答えなんだ。それを望まないってことがね。
わたしは、わたし以上のものになりたいと思っていない。
そして、それらを期待されるのも苦手。
世の中の正しいとされる価値観も、ことばも、敏感になりすぎていては自分を見失っていくのではないかと思っている。
モヤっとしたら、その感覚そのものを大切にしたいな。
だからね。
私はその質問欄が埋まらない分、常に「人として」ありたい状態をアップデートし続けたい。
そしてお金の有無関係なく、優先順位が極めて高い人生レベルで取り組みたいことへの情熱を注ぎ続けたいんだ。もう、これに尽きるんだよなぁ。
ということに気づいたわたしは、
お金の得方とわたしのしていきたいこと、していきたい生き方とを擦り合わせた中で,働くを見つけていこうとしている最中でございます。
もうだいぶ定まってきてもいるんだけどね。
ここに書いてしまえば、それ通りに動かないと、と思ってしまいそうだから、今は自分の中にしまっておくとします。
人生レベルでやっていきたいことも、変化はしていくだろうから、気になる人はきいてみてください。(スーパー投げやり)
ただ、変わらないだろうってことだけをお伝えすると、
”少しでも自分のこころの声を無視しない、感じていることに向き合えるものを表現していく”ということかな。
生きやすさに力を添えて、心の温度を上げるもの。そこにどうしても寄り添いたいという気持ちは変わることがなさそうです。
終わりとこれからと
自分でも驚くようなシンプルすぎる答えに辿りつく時、いつも拍子抜けしてしまいそうになる。
結局答えは変わらず自分の中にあって、それらに気づくまでにおける過程というものが、わたしにとって必要な時間だったということなんだ。
出会う人、そこでの経験、考えたこと、感じたもの。
そうやって時間をかけて自分のこと、周りのことを学んでいきなさいというものが私に与えられたカリキュラムなのかもしれない。
さあ、これから。
限られた時間の中で、まだまだ見たい景色がたくさんある。だから居心地の良すぎた大好きな北海道も、根が下りてしまう前に一旦抜け出します。
いやあ、どうなるか分かんないよね~ハハハ。っていう足のつかない海にいるのはそりゃ怖いけれども!
本当に大事なことを見失わなければ大丈夫だ。と言い聞かせて、自分を信じ続けて歩んでいこうと思う。
“It is good to have an end to journey toward; but it is the journey that matters, in the end.”