Escape -あの選択をしたから-
“あの選択”
と聞いた時に私が思い浮かぶのはやっぱり。
大学の4年くらいに就活をやめて旅に出ると決めたこと。
新卒ブランドが色濃く残る日本の社会で、それらをやめる決断はだいぶ葛藤で、私ついにやってやったなと思ったよね。
何ができるわけでもなくて、どうしたいかもよくわからない。
わからないからこそ踏み出せるのかもしれないけれど、私はそのわからなさへの恐怖や不安がずーっとあった。
わからないからこそ。
ただただ流れに沿っていくのはできなくて納得のできないことに進んでいけるほど自分は強くはなかった。
でも、なんとなくの不安からエスケープして1年近く旅をしてきて。
そこで出会った地域や人、そして経験が今の自分の財産となっていること。たくさんの感情や経験によって、自分の輪郭や大切にしていきたいものに少しずつ、気づけるようになったこと。
綺麗事のようにまとめることは到底できないけれど、どんなに考え直してもその過程になんの後悔もしていない。
私はいろんなことに気づくこと(特に自分のこと)が人より遅いからこそ、この時間は必然となる出来事なんだったのだと思う。
この時間を選択して今を生きている私は、
旅をしている時に出会った人たちに毎度「やわらかくなったね」って言われる。
どんな風に、どんな自分の変化があったかなんて自分でも全ては感じ取れないけれど、その一言が全てなんだと思う。
水みたいに、もっとサラサラと、いろんな形になれるほど柔らかくなることがちょっとした目標です。
もちろんいまだに自分は「社会人」という枠には入れていないような、そんな孤独はある。(社会人ってことば好きじゃないからいいんだけどね)
いつまで経っても自分だけ周りから置いてかれていて、ふわふわしたものを纏っていて。
そんな風には話さないけど、ずっとずっと、見えない居場所のなさに苦しさは抱いてる。
社会の速度とか、自分に求められているであろうことに対して適合していけない自分の性質とか。
だけど、きっとこれらは無くなることはなく、これからも背負っていくものなんだよね。
– もし私があの時点で、あの選択をしなかったら。
同じタイミングでの出来事には巡り会えていなかっただろうし
自分と向き合う時間から逃げていたかもしれない。
−
うーんだからね。
選択をすることは、その時のタイミングと直感で掴み取っていくことなのかも。
自分が感じたことに対して耳を向けて動いてみることは、もちろん苦しいことも付随はするけれど、その時にしかないものがゴロゴロと転がっていたりする。
私は、あの時そのまま就職していていたら、途中で旅に出る決断なんてしなかったと思う。
ましてや仮に旅へ出ていても、今の自分を構成する経験に人に、巡りあえてはいない。
−
そして選択には他人が判断できるようないいも悪いも、正しいか正しくないかもなくて、
というか、世間の物差しで図れるような同じ土台にはきっとなくて。
ただただ、自分を信じていくことなんだと。思います。私なら大丈夫だよって。
選んだものに自分の身を委ねること、というか。
最終的な結果はきっと変わらなくて、その過程をただただ自分で選んでいく。
それって今の自分の声に耳を傾けて信じる、信じていく、ってことだろうから。
それができる強さはすごく大切な力で、すごくすごく難しいもの。
だけれども、これから何かを選んでいく中で毎回立ちはだかるものだから、ちゃんと向き合っていきたいな。
みなさんは日々何を選んで生きていますか?