3.11-切り取られた時間とこれからを歩むために
外の気温が急にポカポカになった3月。
外に耳を澄ますとうぐいすが鳴き声を練習する声が聞こえる。
花粉に悩まされ始めると、春って季節が巡ってきたことに気がつくような気がする。
「3.11」
今年はちょうど予定が空いていたので、東北に日帰りで向かおう、そんなことを決めていた。
今回わたしが目的地としていたのは、仙台の荒井駅にある「せんだい3.11メモリアル交流館」、そして震災遺構となっている「荒浜小学校」の2つ。
家から3時間弱でたどり着いたその場所は、静かできれいで、海の匂いが微かにする場所だった。
駅構内に併設されている交流館はこの日、東日本大震災の犠牲者の方々に花を手向ける場が用意されていた。
ふと。たくさんの新聞がまとめられている場所を見つけて近づいてみる。
それらは、震災から1週間−1ヶ月程度しか経っていないものばかりの報道だった。
【戦後史上最悪の死者数】
【死者・行方不明者○人】
という見出しに使われる生々しい言葉を目にすると、あっという間にあの時の記憶が鮮明に蘇ってしまった。
(どんなに時間が経っていても、時間だけなんだよな。)
そのほかにも泥の下の行方不明者を探す自衛隊の方をとらえた写真。
子供を前に、輝かしすぎる笑顔をみせる警察官。
グッと、苦しくなるものばかりだったように思える。
どんな気持ちだろうと。
どんな日々を過ごしていたのかと。
花をお供えしたあと、バスに乗って荒浜小学校まで向かう。
閑静なその町に、ポツンと浮かぶ小学校。
学校の正面には「ありがとう荒浜小学校」という垂れ幕がかかっていた。
「なんで “ありがとう”なの?」
とお父さんと手を繋ぎながら幼い子が発したその言葉が、妙に重たく感じる。
中まで見学できるその場所は、
現実のようで現実でないような空間だった。
2階の家庭科室は授業の1部が残されていて、今にも子ども達が帰ってきそうな穏やかな雰囲気。
なのにそれらと対照的な床の泥などの汚れ。これは津波がこの2階まで到達した、という紛れもない事実をあらわしていた。
正反対の雰囲気が相容れぬまま同じ空間にあるのが、異様でしかたない光景だった。
時間が経つのはある種残酷だ。
時間が解決してくれることもある反面、否応なく気持ちが置き去りにされてしまうだろうから。
復興とか、震災から○年とか、
人の目を引くような言葉の羅列で報道され、一時期は注目を浴びても、
時間が経つと人はその記憶を完全には留めておくことができない。
一昨年、福島の帰宅困難区域を訪れた時も思ったことがある。
そこでの生活は震災のあのときからも変わらず続いていくってことを。
毎年あの日だけを一つのトピックとして切り取られる中、次の日、その次の日も各々の問題と向き合っていく現実を背負っている。
ある人は言った。
「震災という括りで、それからの生活の辛い記憶を毎度呼び起こされて、正直もう十分なんです」と。
それは、そこで生きている人たちの本音の一部だった。
記憶を風化させないことはとっても大切。
でもね、ただ人の注目を集めるためのトピックとなってはいけないと思うの。
歴史は繰り返すということ。
この出来事を次にどう繋げるかということ。
大事なことを見誤らない力は大切だ。
考えたくないけれど、この先も形を変えた天災が起こる運命に誰もが晒されている。
悲しいことに、学びを風化させて生かせずに同じ出来事を繰り返していることに気づかなくてはならない。
わたしがその地に足を運ぶ行為は、痛みを感じ取ることでわたしの中の記憶を風化させないことでもあり、その記憶をこの先の人生に繋げていくことでもある。
私のできることなんて、こんなもんだ。
でも、こんなものであっても自分の中で変わっていくものがある。その変化は自分の行為にどうせ意味がないと無力感を抱かずにいられる。
過去があるから今や未来の自分がいる。
変わらない日常を守るために、これからの自分のために変わり続けていくことを肯定する。
「この土地に被災地関係なく人が訪れるようになってほしい」
あの地で今も生活する人たちの変わらない日常が、この先も守られていきますように。