教えるほどのものを持っていない人ほど「教えるプロ」を目指したほうがいい理由
noteで「教えるプロ」について書きはじめてから、初めて私に興味を持ってくれて過去記事やブログ、ツイッターなどをたどって下さる人が増えてきた。(ありがとうございます!)
先日もお会いした方にこのようなことを言われた。
「私は教えるプロになるつもりはないけれど、池田さんの発信する文章が心に響きます。読んで勉強しようと思います」
あいにく「教えるプロ」について話す場所ではなかったため、私は「そういうあなたにこそ、教えるプロになってほしいのに…!」と説得したくなる気持ちをぐっとこらえた。
自分と「教えるプロ」が関係ない、と思ってしまう原因は、「プロ」という言葉には長年ひとつのことをつきつめてきた専門家というイメージがついて来るからだ。
しかし、今「プロ」と自分で言える自信がない人ほど、「教えるプロ」になれると私は考えている。なぜなら、今「プロ」と自覚して仕事をしている人よりも、次の「2つの罠」にどっぷりはまりにくいからだ。
「プロ」の自信がある人ほど陥りやすい罠は次の2つだ。
1. 道を極めているうちに視野が狭くなる
2. 陳腐化しやすい学びを大切にし続ける
順番に説明しよう。
1つの道を究めすぎると視野が狭くなる
民間資格の話だが、私は過去、料理研究家になりたかったのでチーズ、ワイン、日本酒、ビール、マクロビオティック、天然酵母パン…などなど、様々な資格を取った。そのときに分かったのが、極めすぎると視野が狭くなってしまう人がけっこう多いということだ。 学べば学ぶほど、そもそも何のために勉強し始めたのかを忘れ、知識の習得やテクニック、美しさや正しさにだけ走ってしまう危険性もある。学び始めたころの新鮮な驚きがなくなることで、普通の人の感覚と少しずれてきてしまうのかもしれない。
初心者に「こんなことも知らないの?」という対応をしてしまったり、逆に「こんなことも知らないなんて恥ずかしい」と思い、せっかくの知識を隠す人もいた。
例えば私が見てきた人の例で言えば、ワインを知り始めフランスのブルゴーニュやボルドー地方など高級なワインにはまると、コンビニでも買えるようなワインを少しばかにし、ワインに氷を入れて飲む人をかわいそうという目で見たりする人もいたし、日本酒を深く学んだ人の中には「純米酒至上主義」や「熱燗至上主義」にはまり、純米酒、熱燗以外は日本酒じゃないと楽しく飲んでいる人を見下す人もいた。
別にその人が美味しいと思って楽しんでるんだから、それをどーのこーの言うのってダサイよね。
もちろんそんな人は一部で、多くは知識を活かし人生を楽しんでいたのだが、様々な資格を取る中で毎回同じように視野が狭い人を見てきたので、勉強を極めようとすると一定数このような状態に陥るのかもなーと思った。私は学会などの堅い場所での学びの場を知らないけれど、大学で教えている知り合いから聞く話でも、やっぱりそういうめんどくさい状態になる人はいるようだ。
私は中途半端にいろんなことに足をつっこみ、毎回新しいことを学ぶ経験があったお陰で、素直に物事を見る目を養うことができた気がする。一つの資格にのめり込まずに、広く浅く学んだため、コミュニティの中にどっぷり浸かってタコツボ化せずに済んだ。当時は広く浅く学んだことが「薄っぺらいのではないか」とコンプレックスに感じたこともあったが、今思うとそれも悪くないな、と思う。 広く浅く学んだことで、初心者目線をたくさん得ることができたのが今に生きている。
今の時代、学びは陳腐化しやすい
過去記事「副業で「やりがい搾取」される人/されない人の違いとは」でも紹介したが、デューク大学のキャシー・デビットソン氏の発表によると「2011年度にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業時に、いまは存在していない職業に就くだろう」とのことだ(出所:『働く女性のワーク・バース・バランス キャリアと出産』大葉ナナコ著 河出書房新社)
今まで専門性が高く、機械に代替されることはないと思われていた銀行や弁護士、会計士といった業界からAIやRPA(ロボティクス・プロセス・オートメーション=ホワイトカラーの単純な間接業務を自動化する技術)による機械化が進んでおり、「潰しが利く業界だから大丈夫」ということは、もはやどの業界にも言えない。
たとえばMBAのケーススタディだって、経営者の状況を追体験し、意思決定能力を学ぶ上では欠かせないものではあるかもしれないが、学べるのは過去の成功体験だ。5年先、どの業界がライバルとなっていくかも見えない、今の会社が何を売る会社になっているか分からないような世の中で、過去の成功体験を追い研究を続ける学びが(エッセンスや大事なところは変わらないとしても)私たちに役立つかは、未知数と言えるのではないだろうか。
価値を見える化→パッケージング→値付けして販売する「自分商品化」を繰り返そう
では、「教えるプロ」として上記の罠に陥らずに生きていくためにはどうしたらよいか。私は「自分商品化」(=「自分の価値がここにあるのではないかな?」と仮説を立て、パッケージ化し、値付けして販売しながら試行錯誤を繰り返すことで、どこででも通用するスキルを磨くこと)が必須だと考えている。
冒頭の彼女のように、「教えるプロ」という言葉に、長年ひとつのことを突き詰めてきた専門家、というイメージを持つ人が多いかもしれない。もちろんプロとしてお金をいただくには、長年積み重ねた経験や知識が必要ではある。しかし、ひとつのことを長く研究しつづけた専門家は、変化に対応するのが難しい場合が多い。むしろ、興味にまかせて夢中になりつつ1〜3年くらい集中した経験を何個か掛け合わせた人のほうがより強い相乗効果があるかもしれないし、初心者の目を忘れずに済む。
そうして掛け合わせた強みを市場に問い、フィードバックを得て自分だけの学びを身につけるのだ。自分だけの学びは、そのまま教えるネタになる。それこそ、誰にもマネできない「教えるプロ」としての凄みとなる。
「自分商品化」は、アイディアを市場に問う作業なので痛みが伴う。商品開発に百発百中はありえない。しかし、受け入れられないのはあなたの存在全体ではなくて、あなたのアイディアの一部だけだと思えば少し気がラクになるのではないだろうか。学びのタコツボにどっぷりはまって、業界人しかわからない言葉を使って満足しているよりも、そのほうがずっといい。
チャレンジしてダメダシされ、失敗を経験にしていこう。自分商品化→販売→失敗→改善を繰り返すには、勉強のしすぎは却って弊害だ。小さく試して反応をみて、世の中の流れを肌感覚で知っていき、自分「ならでは」の精度や判断軸を蓄積していこう。
「もうちょっと、ちゃんとしてから始めよう」と思っているうちは、「ちゃんと」は一生来ない。「ちゃんとしよう」と頑張る人たちは、インプットに一生懸命で何か違う自分になろうとするが、「まずはアウトプットして、その結果をインプットしよう」という視点がすっぽり抜けている。プロとしての自信がなくても、プロになろうという心がけをもってアウトプットから知識をどんどん蓄積していくのだ。
写真は何でも「じぶんでやる!」ブームの息子とら。ベビーカーもじぶんで押す!と、一生懸命だった。やってみてわかること、たくさんあるよね。
まとめ
●今「プロ」と自分で言える自信がない人ほど、「教えるプロ」になれる可能性が高い
●今「プロ」の自信がある人ほど陥りやすい罠は次の2つ
1. 1つの道を究めすぎると視野が狭くなる
2. 今の時代、学びは陳腐化しやすい
●プロの罠にはまらないためには、自分商品化」(=「自分の価値がここにあるのではないかな?」と仮説を立て、パッケージ化し、値付けして販売しながら試行錯誤を繰り返すことで、どこででも通用するスキルを磨くこと)が必須
●自分商品化→販売→失敗→改善を繰り返すには、勉強のしすぎは却って弊害。小さく試して反応をみて、世の中の流れを肌感覚で知っていき、自分「ならでは」の精度や判断軸を蓄積しよう
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