池田航介(kosuke ikeda)

ゆる~く情熱的に生きてる山人です。

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最近の記事

「農」がこれからの時代のキーワード

はじめにこんにちは。No 農 No Life”ののの”や健康茶ブランドEARTH MINDをやっています株式会社Perma Future代表の池田です。 言語化するの実はあんまり得意ではないのですが今回No 農 No Life"ののの”でクラウドファンディングを挑戦していることもあり、これを期に自分がなぜこのプロジェクトをやっているのかNOTEにまとめてみました。 暇で時間を持て余してしまってしょうがないときにちらっと読んでくれると嬉しいです。 青果の卸売りの8代目長男そも

    • おもいっきり笑って生きていこ

      今日で20歳と72ヵ月を迎えました池田です。実は今年の目標でnoteを書くというものがあって、最近ちょこちょこ書いているんだけどちょっとさぼっていたので今回改めて書こうかなって思います。 6月って1年の半分でもあって振り返るには良い機会なので まず26年間生きてることが尊い!まだ死なないけどさ、まず26年間生きてることが素晴らしいよね。今年もよく生きたw いやいや甘ちゃんが何言っているんだって人生の先輩方からかえってきそうだけど でもさ、楽しいこともあるけど辛いこともたくさ

      • 池田の生い立ち③~あの日の記憶を忘れないために~

        年越し年末となり学校も休みにはいる。 時間があれば、私たち家族は眠っている母のところにいくようにしていた。 けど私は母の病院に行きたいのだが、行きたくなかった。 病院に行き、母の顔をみて、耳元で「起きて、起きて」とささやくが、母が起きることはなかった。まだ助かるかもしれないというかすかな希望を信じたい気持ちと、母が死ぬかもしれないという絶望を直視したくないという気持ちが入り混じっていて、どちらかというと絶望の方が大きく、母のことはなるべく忘れていたかった。 バスケの練習をして

        • 池田の生い立ち②~あの日の記憶をわすれないために~

          母の病気そんな全く両極端の両親の家系で育てられた私だが、母は昔から病気がちだった。私が小学校4年生あたりから、入退院を繰り返していて、強い薬の影響で髪の毛が抜けていた時期もあった。それでも決して悪い病気ではなく必ず治るものと聞いていたので私たち兄弟は安心していたのだ。 ただ私の記憶に強く残っているものがある。 おそらく小学6年生くらいの時だったと思う。いつもは朝6時くらいに母親が起こしに来るのにその日は来なかった。目が覚めて時計をみると7時を示しいた。ところが母親はまだ朝ご飯

          地球散歩vol.5 富士山の麓のエコビレッジ

          地球散歩とは エコビレッジですごす濃密な5日間 第五回地球散歩 みんなの可能性 1.地球散歩とは Perma Futureの一番最初の事業、「地球散歩」。これはエコビレッジで4泊5日間過ごすとっての濃密なプログラム。この第五回目をこの前開催してきた。 知らない人もいるだろうから少しだけ説明すると、私は大学3年の春休み、坂井和磨と一緒にひたすら九州の農家を巡る旅に出た。全部20か所以上の農家や農業法人を巡ったわけだが、その中に熊本県のサイハテ村や屋久島のエコビレッジが

          地球散歩vol.5 富士山の麓のエコビレッジ

          池田航介の生い立ち~あの日の記憶を忘れないために①~

          私は1997年6月29日 三人兄弟の真ん中、長男として生まれた。 私が生まれた池田家は割と歴史が長く、「池彦」という会社を代々受け継ぐ伝統を重んじるような家だった。初代は江戸時代までさかのぼり池田彦七さんという方が最初は配達業か何かで「池彦」を創った。それだけはよく聞かされたが二代目からはなにをしていたかはよく知らない。 五代目のひいおじいちゃんが沼津の選挙にでたとかでないとか、六代目にあたる私の祖父が建物を10個以上創り池彦を大きくしたとか、 七代目の父がバナナを研究し特化

          池田航介の生い立ち~あの日の記憶を忘れないために①~

          泣き喚く勇気と体力を無くしたくない

          私が好きな漫画の一つに「三月のライオン」というものがある。 一見は将棋漫画なのだが数々の素敵な名言を残してくれている。 その中でもあまり取り上げられていないのだけど、一つ私の中に深く刻まれた言葉があった。 「人は情熱を失うとせっかちになる。次から次へと成果が欲しくなって近道を探し始める。でも最短距離はみんなが通りたい道だからぎゅうぎゅうな上みんなが持っているモノしかもう落ちていない。そしてそのみんなが持っているモノを投げつけ合っても勝負はなかなかつかない。しかも近道を選びがち

          泣き喚く勇気と体力を無くしたくない

          真面目に生きることをやめました。

          初めに言っておくと、私はクソがつくほど真面目だ。 中学の時、地元の進学校に進むために1日14時間くらい勉強していたし 先生が言うこと、親が言うこと、ルールは守るべきものだと。 池田がクソ真面目に生きていた時代 高校時代、目標だけは誰よりも明確に持っていた。 私が家業の8代目として生まれたことや、母が中学の時に亡くなったこともあり、私が家業を継ぐ。そのために経営や農学(青果の卸の会社のため)を学びたいと思いひたすらその学部がある国公立の大学を目指して勉強していた。しかし、頭

          真面目に生きることをやめました。

          初めまして、池田です。

          noteをついに初めてみました。拙い文章ですがよろしくお願いします。 ずっと、noteを書こう、書こうと思っていたのですが、文章を創るのが苦手すぎて書けていませんでした。けれど書き始めたないと上達もしないし2023年はどんな些細なことでもよいのでちょっとずつ書いていこうと思います。拙い文章ですが温かく見守ってくれると嬉しいです。 初めまして、池田です。 一番最初のnoteブログということで、軽く自己紹介! 静岡県の沼津市に3人兄弟の真ん中、長男として生まれました。 家は

          初めまして、池田です。