![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/113900865/rectangle_large_type_2_741766999eda11dd0b2c88eeae10967b.jpg?width=1200)
【僕の教師時代の生き方】〜飽くなき探究心の根源〜
前回は、どうして教師になったのか?について語った。今回は、僕の10年間の教師時代の始まりについて語っていきたい。
↓↓↓過去記事↓↓↓
●あなたの人生の「主役」は誰なのか?
僕は、27歳から社会に出た。
26歳まで学生をやりながら、バンド活動に明け暮れた。ストレートで教員になった人間ではなく、世間から見たら「学生時代を謳歌しすぎた人」と映っていたかもしれない。
そんな僕が初めて赴任することになった小学校が、僕の教員観の礎となるのだった。
群馬県の小さな町の小さな小学校だった。職員数もそんなに多くない学校で、年齢層もまちまちだったが、なんだか家族のようなあたたかさのある雰囲気だった。
定年退職を迎えるアルピニストの先生
お笑い芸人みたいなベテランの女性の先生
スポーツ万能で働き盛りの30代の男性の先生
その中でひときわ異彩を放つ男性のM先生がいた。
彼は、一言で言うと「明石家さんま」みたいな人で、どんな場であろうと、全員を主役にする力を持っていた。
面白くて、華やかで、テレビ局のプロデューサーみたいなノリがあった。授業や学級経営は刺激的で、筋が通っていて、子どもたちの目がハートマークなのがわかった。
飲み会では盛り上げ上手で、どの年齢層の人とも仲良くやっていた。特に僕を含めた20代の若手に対しては、笑いを交えた絡みの中に、ときおり芯をくった教えを説く場面もあった。
一緒に働かせてもらって、すぐにM先生の志に気づいた。彼は、古い体質の学校改革を念頭に置いて生きていた。その所作が至る所に散りばめられていた。初めての職場で、幸運にもそのような人の仕事をすることができた。
一緒に働き始めて数ヶ月、5.6人の小規模な飲み会の場で真面目な質問をしてみた。
僕「M先生、教員1年目に求められることってなんですか?」
いつものようなお調子で場を盛り上げていたM先生は、ニヤニヤしながらこう答えた。
M「そんなの、ないよ〜!そうだな〜俺が1年目の時の話をしよう。当時荒れていた小学校に赴任したときベテランの先生ばかりの飲み会で、10年目の先輩の先生にこう言われたんだ。『おい、M。お前1年目なのに生意気なんだよ!もっと1年目らしく謙虚にしろ』って。だから言ってやったんだ。『はぁ?1年目には1年目にしかできないことがあるんだよ!10年経ったら忘れちゃうことを、俺は今やってるだ!』ってね。」
僕は、ハッとした。
「教員1年目に求められることは?」
なんて質問をしている時点で、僕は周りから見た教員像の中でしか生きられない考え方になっている。経験を積んだから、先輩の先生に聞けばなんでも答えてくれる。それを真似ればいい。そんな甘っちょろい考えを全て見透かされたようで、僕は恥ずかしくなった。
M先生は、それを察したようにこう続けた。
M「池ちゃんは、池ちゃんにしかできないことがあるんだよ。それは1年目とか、ベテランとか関係ない。俺にもできないことが池ちゃんにはたくさんあるんだよ。それを思いっきりやって、思いっきり失敗してみればいい。俺もバンドマンになって女の子いっぱいはべらせたいなぁ〜w」
フォローまで完璧だった。
あぁ、こんな人になりたい。
同じにはなれない。でも、少なくとも、こんなふうに熱さと笑いでもって、人を「その気」にさせる人になりたい。ほろ酔いながら、談笑に浸りながら、密かにそんな決意をしたのだった。
それから、数ヶ月後。
僕は、晴れて正規教員として中学1年生の担任となった。最初の学年集会で少し緊張しながら真剣な眼差しで話を聞く子どもたちにした話はもちろんこれ。
「学校生活の主役は誰?」
それから、10年間。目の前の子どもたちが自らを「主役」と自覚して生きられるようサポートし続けてきた。
「正解は何?」とか
「どうしたら怒られない?」と考えているとき
心は外を向いている。あるいは、外からどう見られているのだろう?を気にしすぎている。
でもね、
本当にやりたいこと、表現したいことは、いつでも「今」の心の中にある。きっかけは誰かの真似でもいいし、憧れでもいい。そう感じた自分自身の気持ちは、他でもないあなた自身の心そのものなんだから。
たから、
決して「完璧」にならないと表に出してはならないなんて考えは捨て去ってほしい。「完璧」なんてこの世にはないんだから。それは、あなたの心の中にあるものだから。
それをずっとずっと模索し続けること。
試行錯誤して、ときには迷い続けること。
それでも心の中の理想の世界を目指し続けること。
そのこと自体が「生きることの本質」なんだと僕は思う。
不完全さは、人間に与えられた完璧な機能。
そんな言葉をある本で読んでことがあるが、まさにその通りだ。むしろそれがないと、満足して生きる気力を失うとさえ思う。
その飽くなき探究心こそが、生きる力ではないか?もちろん、不完全であることを認めることと、手を抜くことは違う。
このあたりはまた後日書くことにしよう。
最後まで読んでくれて有難う。
あなたの心に響く言葉を紡ぎ続けていきたい。