テリー伊藤の天才ノート/テリー伊藤

なぜ長渕剛は情報を入れようとしないのか。情報を見ている暇がないのだ。自分の音楽しかみていないから、それ以外のものが入り込む隙間がないのである。つまり、長渕剛は常に音楽にうつつを抜かしているのだ。例えば「女にうつつを抜かす」というと、仕事も勉強も放り出して女のことだけを考え、女の尻ばかり追いかける男の事だ。女のことしか目に入らず、気がつけば朝まで女と電話で話していた梨、寝ても覚めても「女、女」で日が暮れたり。うつつを抜かすとは、そういうハイな状態だ。

人間は信念があれば嫌われる事が怖くなくなる。明確な目標を持ち、そこに向かって進もうと思えば、他人の視線など気にならなくなる。つまり、その目標をみつけられるかどうか。逆にいえば、ひたすら嫌われる事を恐れている人は、信念も目標もみつけられずにいるということだ

私は結婚する前、同時に4人の女性と付き合っていた。若きの至りである。その時、いい気になって、女から女へと渡り歩いているうちに、どの子が本当に好きなのか自分自身でもわけがわからなくなってしまった。初めの内は、一応、優先順位をつけていたけど、徐々に収拾がつかなくなってきたのだ。あの子は優しいし、この子は料理が上手だし、あの子はエッチがいいし、この子は明るくてイイ子だし、俺はいったいどこの子を選べばいいんだろう。悩んだ末、私はこう考えた。もし、今、うちのオフクロが急に死んだら、俺が真っ先に電話するのはどの子だろう。その時、最初に頭に浮かんだ女性と私は結局、結婚した。

郷ひろみには素顔が無い。24時間、365日、ずーっと郷ひろみ。自宅に遊びに行ったことがあるが、そこでも彼は郷ひろみだ。ホームシアターやソファーなどの家具調度に全く隙がなくて、まるで大型ハイビジョンCM撮影のセットかと思うほどに完璧。テーブルの上にテイッシュがあるとか、床の上に髪の毛が落ちているとか、脱いだTシャツが転がっているとか、そういう生活感がどこにもない。非の打ちどころのない部屋の中で、シルクのガウンを着て、ブランデーグラスを片手に笑顔を見せる。朝からナイフとフォークでオシャレな食事。「郷さん、本当にいつもこんな暮らしをしているの?」和私は思わず、そう聞いてしまった。3日前に脱いだ靴下が転がっていたり、週刊誌とエッチなDVDが散らばっている私の部屋と郷さんの部屋は、あまりにも開きがありすぎるのだ。「うん。いつもこうだけど、テリーさん、それがどうかしたの?」「いや、どうもしないんだけどさ…」もし、郷ひろみ以外の人がこんな生活をしていたら「お前、大丈夫か?」といいたくもなるが、郷ひろみに限っては「なるほど、そういうことか」というだけである。郷ひろみは、まぎれもなく自己演出の天才である。我々が郷ひろみから学ぶべきは、どうすれば郷ひろみのように「自分がこうなりたい」という自分になれるか、である。こうなりたい自分を人前で演じるのではなく、こうなりたい自分を24時間、365日、持続させることができれば、あなたの理想の自分になれるのだ。お客様の前でだけ「エッチな美少女」を演じているのは、コスプレみたいなものだ。そんなプレイだけでは、どうせいつか素顔や本性が覗いてしまう。郷ひろみのように、素顔と表向きの顔を同化させることによって、初めてコスプレを超えた「エッチな美少女」になれるのだ。早い話が「なりきればいい」ということだ。演じるのではなく、「そのもの」になる。そのためには、人前で演じるだけでなく、たった1人で居る時も「なりきる」やがてそれが演じるを超えて素顔と同化できるのだ

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