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職在広州 表意文字の持つ説得力

(時事速報 「広州から見たベトナム」2010年2月3日を再編しました)

言語なんてそもそも散在する地方言葉が融合したり分離したりを長いこと繰り返して形成されるものだ。日本語も話し言葉であり、文字を持たなかった。英語やフランス語など表音文字である言語は地方間で発音が異なるし、また長い時間を経て変化してしまうものだ。日本語も話し言葉である宿命から、例えば、仮に2千年前の日本語を今の日本人が聞くことができたとしても意味は理解できないのではないか。一方、表意文字たる漢字は発音が変化しても見た目は不変である。多少の略字化や変形はあるにしても現代人が2千年前の書物を見ても大体の意味を理解できる。読む、書く、聞く、話すという4つの行為において、読み書きについていえば他の言語と比較し漢字は優れた不変性をもっている。現在の中国政府が全国にくまなく普通語(標準語)教育を施し、共通語を普及させようと躍起になる理由もよくわかる。広大な面積をもつこの国を一つにまとめるためには共通した言語が必要だ。この点、漢字を広く共有する中国は有利である。

その昔、周辺アジア諸国よりも一足早く開国した日本は、西洋文化や学問、哲学、技術などを輸入し、新しい漢字を次々と発明した。議会、人民、共和国、民主主義、経済、政治といった近代社会を形成する概念を西洋書物から勉強し、新しい概念を日本語(漢字)に翻訳した。これら新漢字は中国にも輸入され、今でも経済や政治を語る際に欠かせない語彙となっている。中華人民共和国やベトナム社会主義共和国という国名からして既に日本発祥の新漢字によって成立している。

ここ100年の歴史を見れば、日本もその他東南アジア諸国も外来語というものを大量に生み出してきた。元来、漢文訓読法を発明し、漢字を音読みしたり、訓読みしたりしてきた日本人は、漢字の造形をベースにした仮名を使って大いに外来語をカタカナ表記した。日本が広東語や閩南語から導入した外来語としては、餃子(ギョーザ)、焼売(シューマイ)、叉焼(チャーシュー)、雲呑(ワンタン)などがある。思いつくものが全部食べ物であるところが面白い。既にこれらは音としての広東語がカタカナ表記され、むしろ漢字表記以上に市民権を得ている。英語の漢字意訳も怠るようになって久しい。今ではすっかりカタカナ表記をむしろ好んで使用するようになった。

日本語というのはおそらく世界屈指の規模で外来語からの借用を多用する言葉ではないか。日本語で使用されるカタカナ用語の氾濫が時々「言葉の乱れ」や「分かりにくさ」を理由に問題視されることがある。あまりにたくさんの輸入語をカタカナ表記し続けたのだから仕方あるまい。この原稿を打つコンピューターもデスクトップにあるマイコンピューター、マイドキュメントなど、アイコン名の多くがカタカナ表記である。起動してから電源を切るまでの間、このカタカナ表記の外来語に囲まれて仕事していることになる。マイドキュメントくらいは「個人書庫」とか「私の資料」と表記してもいいと思うのだが。ちなみにベトナム語では、デスクトップはTren Mat Hinh(画面上)、マイコンピューターはMay Tin cua Toi(私の計算機(パソコンの意))、マイドキュメントはTai Lieu cua Toi(私の資料)である。しっかりとベトナム語化して表記するように努力しているではないか。

 

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