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続・ベトナム街道 ごみの風物詩

(ジェトロセンサー「間奏曲」2005年4月号を再編したものです)

ベトナムの衛生状態は決して悪くはないと私は思っている。飲料に入っている氷をガリガリと食べるし、ベトナム料理に欠かせない生野菜もどんぶり一杯食べる。それでも通算6年に及ぶハノイ駐在中、ひどくお腹を下したという記憶は不思議とない。

ただ、腐った沼エビのから揚げを食してひどくあたったことが一度あった。一口かじった瞬間、口いっぱいに異臭が広がった。エビが尋常でない腐り方をしていると分かっていながら、ご馳走してくれたベトナム人が「どうだ、旨いだろう?」と嬉しそうに人の顔を覗き込むものだから、吐き出さずにゴクリと飲み込んでしまったのだ。数時間後、自宅のトイレから一歩も出られない状態に陥り、そのまま七転八倒しながら夜を明かした。

北部クアンニン省ホンガイの町中(2024年5月)

現地生活の長い駐在員は、ある程度の抵抗力が備わっているも確かだろう。ただ、多くの出張者がハノイを訪れるが、他の途上国で時折見るような食あたりを起こしたという話しもあまり耳にしない。確かに、帰国後に体調不良で寝込んだという話しは何回か聞いたことがあるが、それは衛生状態というより、旅の疲れが出たのでは?と勝手な解釈をすることにしている。実際、日本に行ったベトナム人も日本で3日か4日でお腹をこわす。つまり腸内細菌の変化による水あたりのようなものなのであろう。

着任間もない駐在員や長期出張者なども、滞在が2週間を過ぎた頃から街の日常風景を冷静に眺め出す。そして、犬や猫が見当たらないことに気づき、「食べられちゃってるんですかね?」と興味津々で聞いてくる。さらに2~3週間もすれば、鳩やスズメもいないことにも気づくだろうから、「色々と食べちゃいますからねえ」と曖昧な返事をしておく。そして、またある人は「街にハエがいない」ということに気づく。確かに、一人当たりGDPが400ドル(1990年代中ごろ)の国にしては、街の清掃が行き届いていると感心する人は多い。毎夕4時ともなると市の清掃局のおばさんが大きな手押しのゴミ回収カートをゴロゴロ転がしてやって来る。そして、「キンキンキン」と鐘(カートの持ち手部分)を鳴らすと、沿道の住民や店員たちが、わらわらとポリバケツを持って出て来てはカート内にゴミを放り込む。この、路上に生ゴミが放置されない回収システムとハエがいないこととは無縁ではないだろう。

そして、この清掃局のおばさんたちは、夜中になると市内の30メートル級の幹線道路の路面を竹ほうきで掃き清める。意味があるのが分からない。もしかすると埃を舞い上げているだけのようにも見えるが、100メートルおきに配置されたおばさん達が、「シャーッ、シャーッ」と路面の砂埃を一心不乱に掃く姿はかなり異様な光景である。

中部沿海部のドンホイの町(2024年11月)

ゴミ化する資源
各種経済データで見るベトナムは、紛れもない低開発国であるにもかかわらず、その割りに衛生状態は良好だ。これは、初等・中等教育が比較的整備されており、衛生観念が広く庶民レベルまで行き渡っていること、得意のスローガンを掲げて街の美化を訴える行政や町内会の努力、そして実際の清掃業務の徹底など、社会主義国ならではの事象かもしれない。

最近、ビニール袋や空き缶、シャンプーの容器など、これまでは資源として余すことなく再利用されてきたものまでが生ゴミに混ざるようになった。1990年代初頭、生ゴミ以外は可燃ゴミでも不燃ゴミでもない、むしろ「資源」に近い存在であった。経済成長が持続し、国が発展を遂げれば、これまで「資源」だったものが加速度的に「ゴミ」化していく。大量消費時代が到来し、社会主義的手法による街の衛生維持も限界に近づきつつある。人海戦術の掃き掃除や手押し車でのゴミ回収など、ある種のベトナム風物詩がまたひとつ消えようとしている。

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