
職在広州 サービス業の体質強化
(Whenever広東、2011年5月号を再編しました)
春節が明けて間もない頃、広州市内のレストランの服務員の態度が急に悪くなったように感じた。ランチで利用する日本料理屋も韓国料理屋も、要は服務員の数が少ないため、てんやわんやの状態になったのである。余裕のなくなった服務員たちは、服務員同士の無駄話しもできず、客と世間話をする暇もなく、客の様子をのんびり観察する時間もない。客の呼びかけも大方無視しながら厨房と客席を不機嫌そうに行ったり来たりしていた。
中国は今、全国的に人手不足状態である。レストラン従業員は広州など都市部では広東省郊外や省外からの出稼ぎの若者が多い。このため、春節で帰省した人たちが再び広州に戻ってこなければ、たちまち人手が足りなくなる。そういえば、3月初旬に訪れた南京市内でもほとんど全ての飲食店、衣服屋で従業員募集の張り紙を出していた。南京でも人手不足だとすると、一体どこに行けば人がいるのだろうか。いや、圧倒的な余剰労働力が今でも存在していると考えることが間違っているのである。

「農村の余剰労働力」と、事あるごとに唱えられてきた。農村が無尽蔵な労働力供給源であるかのように連想させるこの固定観念も、中国の労働市場を考える際の前提には成り得なくなったのだろう。もちろん貧困にあえぐ農村は今でもたくさんあるに違いなく、都会へ出稼ぎに行かなければ一家が食いつぶしてしまうような危機的状況がないとは言えないだろう。それでも急成長を遂げる都市部が要する労働力は計り知れず大きい。農村では失業状態にある余剰労働力の多くが40歳以上の家庭持ちであるとの指摘もあり、易々と遠方に出稼ぎに出て行けない事情もある。深セン大学の「農民工調査」によると、同市に出稼ぎに来ている農民工の87%が農業に従事したことがない若者であったという。経済的な労苦をほとんど経験せぬまま、比較的裕福な町村で育った一人っ子が現在の農民工なのである。農民工とは都市戸籍をもたない農村出身の出稼ぎ労働者を指す言葉である。
発展途上国では「飲食店の従業員が多すぎやしないか?」と思うことが多い。特に中国では、作る人、運ぶ人、注文を取る人、会計をする人などの業務範囲が厳しく決められている。階級社会のようになった飲食店のこうした仕組みは、お客様対応を横に置き、相互監視と内部統制を軸にした制度となっている。

広州市内の飲食店で、10人でやっていた仕事を6人でやらねばならなくなったのだとしたら、これはサービス業の体質強化のためにはいい機会だったはずだ。そもそも日本などの飲食店と比べ服務員が多すぎるのだから、省ける無駄はたくさんあるに違いない。服務員の人数が減るのだから一人当たりの業務荷重は増す。その分、多能化した服務員の給与を引き上げ、階級の垣根を低くし、従業員の自己実現のチャンスを広げることが結果的にはサービス向上に資すると思う。でも最近、市中のレストランの服務員数は再び増え、元の状態に戻ってきた。一方でおかずの品数が減り、味が落ちた。おそらく服務員の高度化や多能化という経営努力はせずに、実質的に値上げを選択した結果なのだろう。