心が動いた記憶。あたたかい拍手。早く卒業したかった中学。
中学生のとき、私は先生という大人を信用していなかった。先生たちは私を信頼してくれていたと思う。授業も真面目に聞いている風で、どんなに周りが騒がしくても聞いているよ、と視線で送っていた。成績も悪くない。部活にも入っていて友達もいて、ヤンキーに目をつけられることもなく
いじめられることもなく、家庭にも問題がなく親もPTAなど学校教育に協力的でとにかく問題のない子どもだった。問題のある子(問題を抱える子、巻き込まれる子)はたくさんいた。だからそちらに目がいくのは当然だった。大人が苦手だったので特段関わって欲しかったわけではない。
ただ、上を向けるようにして欲しかった。私はその頃から腐っていた。担任からも「俺から教えられることないわ笑」的なことを言われて心底がっかりした。"できない子の気持ちがわかるから先生になりたい"とよく聞くけれど、狭い世界でたまたまできると言われてしまう子を導く先生は?
結局できるできないなんて関係ない。ただその子がどんな気持ちでどんな状態でその子にとっての次のステップは何か、だけだと思う。もちろんそんな余裕がないことはわかっていたし、わかってしまったからこそ、心の中にある様々な問題を何も発することなく過ごし"大人は誰も分かってくれない"が加速する。
でも、一つだけ"あぁ見ていてくれたんだな"と思ったことがある。
中学3年卒業前に、『体育優良生徒』として表彰された時だ。東京都体育協会などが各学校男女一名ずつ学校長の推薦により表彰する。学校長はわかるはずもないのでおそらく体育の先生中心にどうにか選んだんだと想像する。私は教科の中では体育が好きだった。満遍なく運動ができたし、球技は得意だった。でもずば抜けてすごい身体能力というわけでもないし、器械運動系の柔軟性が必要なものはできなかったし、水泳は補講を受けたこともある。中学3年の後半は色々病気したりして授業も休んだり見学だったりしたのに。
そんな賞があるなんて誰も知らずに、受賞のとき校長先生が賞の説明をした。ただ運動ができるだけでなく、「スポーツ精神に秀で、他の生徒の模範となること」が基準に含まれていた。
学校の体育は当たり前だが全員が授業を受ける。他の人と比べて運動が得意でないと感じていても、運動部に入っていなくても。体育のときは自分のことより苦手と感じている人のフォローに回った。得意な球技はもちろん、苦手な器械運動や陸上競技も苦手な人たちとがんばった。
余計なお節介と思った人もいるだろうが、どうせテストや評価があるのだからできたほうが楽しいしみんなで楽しくやりたかった。(幼稚園の年長から小学校6年間、幼稚園のスポーツ教諭がやる週一回のスポーツ教室に通っていた。そこでは得意なことも苦手なことも年上も年下もみんな楽しくお互いを見本にしながらがんばった。それが普通だったからかもしれない。)
その様子が、スポーツ活動を推進する模範的な態度、ということだったのだろう。受賞したときは、先生たちも見てはくれていたんだな、と思った。その頃は特に、病気をして身体を動かすことができず腐っていた時期だったので、スポーツが好きだった自分もやむに止まれずできない苦しさも分かってもらえた気がして嬉しかった。表彰されるのに舞台上にも歩いていけず、校長先生が舞台を降りて歩いてきてくれたと記憶している。私より運動ができる子たちもやっかみなくどんな表彰よりも暖かい拍手だった。