負け嫌い
大人になってからもどうしようもなく心が乱されるものがある。
運動だ。
球技は得意だしむしろ心躍る。ただ、身一つでやるランニング、水泳、運動のための運動が苦手だ。
走ることは訓練であり、球技やスポーツをするためのトレーニング
もしくは、タイムを測り他人と競争する、順位まで決まるとなると心が穏やかでない。
大人になってからのランニングなんて自分と向き合い、走りたいときに走ればよい。
でも大会なんてあった日には。自分に集中するための修行でしかないし、自分との戦いなんぞますます目的として成り立たない。
健康維持には脚への負荷がデカすぎて向いてないし、自分に向き合うにも相対的に競うにも人が多すぎる。
寒くて交感神経が刺激され、温まるために走る以外自ら走り出すことなどない。
同時にスタートして、タイムを競うとなると横を抜かされていくこと、途中で苦しくなること、一体全体誰の何のためにこんなことをしなくてはいけないのか…惨めな暗い気持ちになる。爽快感達成感皆無。南無阿弥陀仏。
なんでこんなことになってるかというと
10㎞走ることになっているからだ。
フルマラソンへも憧れがある。
ただ、自分がスポーツに関することで憧れるとき
あまり良い状態ではない。興奮しすぎているか、下げに入っているか。躁か鬱なのだ。
自分を買い被ってヒーローになれると想像しているか、苦しい悔しい惨めな気持ちになるところを想像しているかのどちらかだ。
いずれにせよ未来を先取りし、今の心がとんでもなく乱される。呼吸が浅くなり。感情が増幅する。
今にとどまり先を考えない。それが一番だ。
ただしそれでは当日がつらい。
できるだけ当日もそれまでも苦しみを減らしたい(当日の不安を減らさなければ、それまでも不安は増幅する)
ボールを追いかけて無我夢中で走ることと、またそれをできるだけ思い通りに身体を動かせるようになるために走ることはできる
でもそういった目的なしには走れない。
とすると、10㎞当日をゴールにせず、それ以降の球技スポーツで思い通りのプレーないし、コートで苦しまないためのトレーニングだと思ってしまえばいいのだ。
のんびりジョギングではなくランニングと休憩にしてしまえばいい。
タイムを伸ばしていく予定もないし、走りたい時に走りたい分だけ走るのでハマることも多分ない。
自分が比較的精神的に楽に走れる方法を探したい。
無我でいられるスポーツとの関わり方を増やしてエゴからできるだけ遠くにいることで心を乱さず過ごしたい。