だれでも遊べる公園のようなフットサルコートをつくりたい。
love.fútbol Japanさん主催の『サッカー・フットサル場づくりの教室2020』に参加した。
サッカー・フットサル場を作るにあたってのポイント・ぶつかるであろう壁とむずかしさを知ることができた。(むずかしさを知ることができた→すなわちかなり序盤で心は折れた。。)
でも、思い描いたものと、そう思うに至った背景について書き残しておきたいと思った。
だれでも遊べる公園のようなフットサルコートをつくりたい。
これはゴールではなく、生まれた境遇や環境に関わらずだれもが(特に子どもたちが)フラットにただただ"思い切り生きること"ができる社会になるといいな、というのが目標である。
なるといいな、というのは社会はつくるものじゃなくて、人々の向き合い方や関係が社会をつくっているのであって、自分の実現したい世界をつくるみたいなあまり大きいことを考えると悩みが大きくなるし、しんどくなってしまうと思うからひとまずこう書いている。社会や時代は徐々に変容していくのであって、心配しなくても良い方に変わる。
ではなぜ、自分が取り組みたいことが『だれでも遊べる公園のようなフットサルコートをつくりたい。』であるのか。
その背景には2つの経験があると思っている。
背景その一。
一つは、実際に自分が遊んでいた広場が『ボール禁止』『バット禁止』など、どんどん新しい看板が建てられて遊べなくなっていったこと。
もともと球技を好んでいたので、外で遊ぶといえばサッカーのPKか野球の千本ノックだった。特にそこは広めの広場で、周りには高いネットが張り巡らされていた。細かくは覚えていないが、ネットは初めから高かったわけではなく、だんだんと追加されて高くなり、ボールが飛び出さない、かつ壁当てのように一人で遊ぶにも最適だった。ネットに向かってなら思い切り蹴ることができる。
しかしおそらくだが、その遊び方を推奨してネットをつけたのではなく、広場は家、道路、畑に面していたので、家にボールが飛んでこないように、道路に子どもがボールを追いかけて飛び出さないように、畑にボールが飛んで踏み荒らされないように、といった理由から設置したのだろう。
それが結局ネットにぶつける音や、どうやっても飛び出していくボールにクレームが続いたのだろう。球技やバットが禁止になってしまった。思い切り遊ぶことができた広場だったのでとても残念だった。学校の放課後遊びは平日16時前には終わりだったし、他の公園は小さい子がたくさんいたり、遊具がたくさんあり過ぎてだめだった。中学になると部活がありそんなに学校以外で外で遊ぶことはなくなったので問題はさほどなかったが、その広場でゲートボールをするおじいちゃんたちを見て場所を奪われたような悔しい気持ちになったことは覚えている。
背景その二。
もう一つは、お金を払わなければスポーツができないことへの抵抗感。
大人になってからは、サークルや会社の人たちと遠くにあるフットサル場まで電車で出かけて、コート代を支払ってやっとフットサルができるという現状。子どものころは近くの広場でできたのに。。そこで地元で安く、いろんな世代や職業の人と気軽にフットサルがしたいと思って総合型地域スポーツクラブに所属したものの、そこでも年会費や参加費(クラブ維持費)や保険加入料などお金がかかってしまい、公園のように誰もが公平に集えるわけではなく、一つ二つハードルがあることに違和感を感じたからだ。ということは今の子どもたちは公園も遊びが制限されているため、お金を払わないと思い切りスポーツができないのか!と思ったのだ。
お金のない家庭の子どもたち、例えば習い事も部活もできず、外で一緒に遊ぶ友達もおらず、放課後一人でもしくは家事をしなければならない子どもたちはいつどこで遊ぶのか。親と学校の先生しか知っている大人がおらず、家と学校その世界が全てだと思ってしまう子どもたちの逃げ場はどこにあるのか。
だから作りたい。
だれでも遊べる公園のようなフットサルコートを。
どんなコートにしたいか?どんなことをしたいか?
コートは芝で低めのフェンスがあればいい。外へ飛び出しても拾ってくれる大人がいればいい。それすら今は関わりを奪われている。
フェンスはなくてもいいかもしれないがブラインドサッカーを個人的にはやってみたい。
ボッチャコートも作って、フットサルじゃなくてもゲーム性と身体性も兼ね備えたボッチャなら誰でも楽しめるスポーツだ。ゲートボールをやったっていい。やってみたら案外はまるかもしれない。
また、バスとかバンを使って移動図書館も作りたい。毎日違うものが来ていたっていい。
屋根のあるところでのんびり乳幼児も過ごせる、コートや外が見渡せる場所、縁側もつくりたい。
それぞれが自分のやりたいこと・企画を持ち込んでゆるく一緒にやる人を募ってもいい。ホワイトボードを置いて、日付と時間と内容だけ書き込んで、駅の伝言板みたいにひっそりと募集したらいい。
たくさんの人が集う場所をつくりたい。
終わりに。
アイディアや思い描くことは簡単だ。
でもこっそり胸にしまっているといつか忘れてしまう。
中途半端にしないできちんと思い描いていれば、
そっくりそのまま実現しなくてもいつか”繋がる”時がやってくる。