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「誇りをもって仕事をしよう」という呪い

この文章は、パーソルとnoteで開催するコンテスト「 #はたらいて笑顔になれた瞬間 」の参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

「自分の仕事に誇りはないわけ?」

これは数年前、些細な口喧嘩のなかでわたしに向けられた言葉です。未だに心のどこかにひっかかっていて、時折思い出します。

誇り、かあ。たしかに、はたらいていて楽しいと思うことはあるけれど、「仕事に誇りがあるか」と問われると、それは「ない気がする」。

もしかしたら、自分の仕事が他の人の役に立ったり、社会に貢献してたり、そういう実感があれば、仕事への誇りなるものは、自然と生まれるのかもしれません。
しかし、そうしたものとは縁遠く、スキマ産業でのらりくらり生計を立てているわたしにとっては、どうも「自分の仕事」と「誇り」が直結しないのです。

「自分の仕事に誇りをもってはたらこう」だとか「自分の仕事に誇りを持てないヤツはダメ」だとか、そうした言葉は世の中に溢れているけれど、みんながみんな、仕事に誇りを持って日々はたらいているのでしょうか。

なぜ仕事に誇りが持てないのか

わたしは、ソフトウェアエンジニアとして、副業でタレントとしてはたらいています。

ソフトウェアエンジニアとして、ユーザーが多く社会貢献に大きくつながる領域ではたらかれている方もいると思いますが、わたしがメインではたらいているのは事業創造期のベンチャー企業です。

創造期ということもあり、事業の方向転換が多く、なかなか世の中にサービスをリリースできなかったり、リリースできたとしても、社会に貢献できる規模のサービスに成長できなかったり、苦しい時期が続きました。

特に、サービスをリリースできない時期が続いた時期は、食堂で美味しいご飯を提供したり、荷物を運んできてくれたり、病気を診察してくれたり、そういう社会のインフラに携わる方のお世話になると、「こうした方々はすごく社会の役に立っているなあ、それに引き換えわたしは全く社会に貢献できてない……」と後ろめたい気持ちになることも少なくありませんでした。

タレントとしては、特に駆け出しの頃は、オーディションに落とされまくってそもそも仕事にすらありつけませんでした。他の人の役に立ったり、社会貢献したりする以前に、「わたしは誰からも必要とされていないんじゃないだろうか……」と、後ろめたい気持ちを超えて、暗澹たる気持ちになりました。デビューしたときに喜んでくれた親族をがっかりさせたくないという思いだけで、活動を続けていた時期もありました。

どちらの仕事も、人が最低限生きていくうえでは不要な仕事だなと、無力感を感じます。特に、災害やコロナ禍などの緊急事態においては、そう感じることが増えました。

人生を振り返ってみると、確かにこれは、人の役に立ったり、社会に貢献できない (=仕事に誇りがもてない)ことに、わたし自身も悩んでいたのかもしれません。

「仕事に誇りが持てない = 仕事にやりがいがない」ではない

仕事に誇りがないからって、やりがいが見出せないわけではありません。

たしかに、人から感謝されるような職種はやりがいも見出しやすいですが、やりがいを自分自身の「達成感」や「スキルアップ」に見出したって別にいいのです。

フリーランスとして独立して、初めてひとりでWebサイトを納品できたとき。

大仕事を終えたあと、ハイボールをクイっとやりながら焼き餃子を食べたとき。

デスマーチ明けに銭湯でひとっぷろ浴びたとき。

開発チームみんなで大型リリースを乗り越えたとき。

長いこと苦しんでいたバグが潰せたとき。

開発していた機能が動いたとき。

できなかったことができるようになったとき。

実際、このような達成感やスキルアップにまつわる「はたらいて笑顔になれた瞬間」の積み重ねが、わたしにとって仕事のやりがいの大半を占めています。

仕事でのやりがいは「人生楽しく仕事するためのガソリン」なので、独りよがりでもいいとわたしは思います。

どんな仕事も、気づかぬうちに、誰かの役にたっている

「自分のやりがいのある仕事をして、それが時々人や社会の役に立つこともある」

人が生きていく上で必要なインフラに携わる仕事なんて限られているし、自己実現と社会貢献のバランスが多少傾いていても気にすることないんじゃないかと最近は思っています。

それに、どんな仕事でも、気付かぬうちに誰かの役に立っていると思うのです。仕事に対する感謝やフィードバックを直接もらえる仕事って、ごく限られた職種に限られているから、気付いてないだけで。

ごくまれに、わたしの手元にもわたしの仕事に対する感謝やフィードバックが届き、「もしかしたら、わたしも人や社会の役に多少は立っているのかもしれないな」と感じることもあります。

「池澤さんがきっかけで、プログラミングを勉強しはじめました」と言われたり。

所属事務所が大型の新人発掘オーディションを開催したときに、わたしのことを知って、応募してくれたひとがいたと、担当マネージャーから聞かされたり。

自分が携わったサービスが便利だったってSNSへ書き込みがあったり。

いずれも、わざわざ向こうから声をかけたり、SNSに投稿してくれたから気づけたことです。

自分の仕事が他の人の人生に影響を与えたり、人や社会の役に立っていたりしても、ほとんどの場合は、本人まで伝わっていないだけで、実は本人が思っている以上には、誰かに貢献しているものなのかもしれません。

そもそも、ある仕事が誰かの役に立っているか役に立っていないかは、受け手の状態に依存するし、受け手が判断することなので、そこまで気にかけても仕方がないのでは、とも思えてきます。

自分ができるのは、その時その時で最善の仕事をすることのみ。

だから、そんなことにくよくよ悩まなくてもいっか。
最近はそう開き直って、相変わらず仕事に誇りは持てないけれど、日々楽しくはたらいています!

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池澤 あやか
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