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山形の旅 ~古きよきものと新しいものとの融合が、新たな魅力を生み出す~①

冬の到来を感じさせる12月、私はひょんなことから山形県の米沢を訪れた。
しかも、米沢に足を運ぶのは今回限りだろうと思っていたのに、滞在中から「次はいつまた来ようかな」と考えていた。
そんな私の体験談と心の変化を綴ってみようと思う。

※ 端的に言うと、私が好きになったモノの良さを、頼まれていないけれど全力でアピールして応援する文章です

組子細工の間接照明に一目惚れ

10月下旬、友人のゆうこちゃんが百貨店の催事場で”木のあかり”に出会った。

その照明は、わずかな大きさの木片と木片を組み合わせ、連続した模様を表現する伝統的な「組子細工」の技術を用いていて、精巧な組子の隙間からこぼれる光が幻想的で美しかった。また、材料として青森ヒバなどの天然木を使用しているため、電球の熱によって温められた照明からは心地よい木の香りが漂っていた。

木のあかりに一目惚れしたゆうこちゃんは、ぜひ購入したいと思ったものの、机上型と床置き型の2種類があり、デザインも豊富だったため、一日では決めきれなかった。
結局、次の日も催事場に足を運んだ。
ゆうこちゃんは制作者の林久雄さんに、過去に購入したお客さんから送られたきたイメージ写真を見せてもらいながら、部屋の雰囲気や置きたい場所に合ったあかりを選んだ。
それが、こちらの「ランタン」という作品。

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「ランタン」にした理由は、机上と床置きどちらも可能なサイズだということと、眩しい光が苦手なため、中の電球の光が直接目に入らないデザインだったこと。

この写真をゆうこちゃんから見せてもらい、今度は私がときめいた。

実は昨年、北欧の照明を紹介していたテレビ番組を観る機会があり、ずっと心に残っていた。
デンマークには、心地よく過ごすくつろぎの時間や空間を表す"ヒュッゲ"という言葉がある。デンマークの人たちは、家族が過ごす場所をヒュッゲな空間にするために照明やろうそくなどの灯りを上手に利用していた。
そのとき、私もヒュッゲな空間づくりのための照明がほしいと思った。

友人宅で見てからずっと欲しかったデンマーク製のダイニング用照明があった。電球の光が直接目に入って来ないような設計になっていて、洗練されたデザインも魅力的だった。値が張ることもあって買えないでいたのだけれど、思いがけず入って来た臨時収入で購入しようと思い立った。
そうして7月に我が家にやってきたのがこちらの照明。

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オレンジ色の柔らかい光に癒されたものの、隣のリビングの照明が明るすぎて、その良さが半減してしまう感じがした。リビングに間接照明がほしいと思った。ネット検索してみたが、ピンとくるものがなかなか現れず、保留になったままだった。

そんなときに目にしたのが、林木工芸の木のあかり。

私も催事場に足を運ぼうと思ったが、ちょうど前日に催事が終了してしまっていた。
ガーン。
木のあかりの工房があるのは山形県の米沢。買いに行くにはちょっと遠すぎる。
全国の百貨店の催事場をまわっているらしいが、関東での開催は直近では来年のはじめとのこと。ネットで購入することも考えたけれど、やっぱり実物を見て決めたいと思った。

すると、夫が「米沢に買いに行ってくればいいじゃん」と言った。
うーん、新幹線代をかけて買いに行くのかあ。余計なお金がかかって、もったいないという躊躇が出る。
どうしようかなあ。
そうだ!GoToトラベルを利用して、旅行として楽しめばいいじゃん!と思った。そこで、夫も誘って二人旅をすることにした。

宿は、ネット検索してピンときた旅館を夫に提案した。
米沢駅から車で20分ほどのところに位置する赤湯温泉の「山形座 瀧波」。

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(写真は宿の公式サイトより借用)

決め手は、部屋数が少ないこと(全19室)、全室露天風呂付だったこと、古民家を移築して作られた旅館には北欧を中心としたデザイナーズ家具が配置されていて和モダンな空間だったこと、そして、オープンキッチンの広いカウンターで提供される料理が美味しそうだったこと。

夫も一目で気に入った。

部屋のタイプが3種類あり、どこに宿泊するかを選ぶ楽しさもあった。
蔵を生かした「KURA」、春には庭園の桜を眺めることができる「SAKURA」、山形の家具や工芸品を配置した「YAMAGATA」。
私たちは黒くて太い梁が印象的なKURAの中から、瞑想ルームがある部屋を選んだ。(あとでサイトを確認したら、私の勝手な勘違いだったと判明。瞑想ルームなんていうことは一言も書いていなくて、セカンドリビングという位置づけだった 笑)
人気の宿らしく、11月は全て満室だったため、12月に行くことに決まった。

いざ山形県の米沢へ

そうして、いよいよ待ちに待った米沢旅の日がやってきた。
東京駅から新幹線で2時間ちょっとで米沢駅に到着。
この時期は、例年雪が降る季節らしく、空気がかなり冷たく、思わず身震いした。とはいえ、まだ積雪がなかったから、これでも温かいらしい。
とりあえず米沢ラーメンで体を温めてから、木のあかりギャラリーへ向かう。

あらかじめこの日に訪問することをメールで伝えてあったため、制作者の林さんが「遠いところをようこそお越しくださいました」と笑顔で迎えてくれた。
林さんが、展示されている大小さまざまな照明に灯りを付け、ブラインドを下げると、幻想的な光の世界が一気に現れて、二人同時に「おお」という感嘆の声をあげていた。

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近くに寄ると、光の模様が壁や床一面に広がっていて、その美しさにしばし見とれた。電球の熱で温められた木のあかりからは、青森ヒバのいい香りが立ち上がっていた。

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組子細工で富士山と湖を表現した絵も圧巻だった。

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若い頃は特注の仕事もたくさん受けていて、別荘の4枚の扉絵を作り上げたこともあるという。一年がかりで作ったというその作品は、写真で見ても途方もない大きさで、繊細で芸術的な絵が浮かび上がっていた。

木のあかりが生まれた背景

いつからこの木のあかりを作っているのか、林さんに話を聞いた。
林さんは、もともと建具屋の息子で、父親が始めた建具屋を継ぐため、高校の建築科を卒業後は、埼玉で建具の加工技術を学んだ。
山形に戻ってからは、建具職人として組子細工を使った障子やふすま、欄間などを多く手がけていた。一方、絵を描くことが好きだった林さんは、仕事が終わると絵を描いていたという。
そのうち、「平面の組子細工を立体にしたらどうなるのか」という発想から、組子の木工作品をつくるようになっていった。

林さんは、過去のインタビュー記事の中でこう答えている。

「昭和40~50年代は経済成長の波に乗り、どこも建築ラッシュですから、建具づくりはとても忙しかったです。でも、伝統的な日本の建築様式は次第に減っていくだろうと思っていました。
家はひとつひとつ、つくり上げていくものではなく、商品化されていく。そうしたら、手づくりの建具だけでは淘汰されていくだろう。
何か別にやっていかなくてはと、そんな思いもあったかもしれません」
と林さんは当時を振りかえる。
組子の技術がつくり出すのは日本の伝統的な空間に合ったもの。しかし林さんは、もっと現代のライフスタイルに合うようなものをつくれないかと考えていた。
そこでつくり始めたのが、木のあかりだ。

こうして組子細工を生かした新しい木の製品が誕生した。
1987年を皮切りに、数々の賞も受賞している。

「伝統の部分だけに価値をおくのはもったいない。もっと広い視点で、どういったものが人の心を心地よくさせるのかを考える。
古いものを古いままつくっていくのではなく、時代に合ったものへとチャンレジしていくことが、伝統の継承へとつながると思うんです」

この木のあかりを継承する若い世代のお弟子さんはいるのか。一番気になったところを聞いてみた。
林さんと二人三脚で20年以上にわたって木のあかりを作り続けている船山秀昭さんは50代。もっと若い世代がいるといいんだけど...と内心思っていたら、
「実は娘夫婦が、この木のあかりを残したいと言ってくれて、来年から制作に加わるんです」
と林さんは嬉しそうに語った。
若い世代の新たな感性が加わることで、木のあかりはさらなる進化を遂げそうな予感がして、私たち夫婦もワクワクした。

そして、私たちが悩んだ末に購入したのはこちらの2作品。

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緩やかな曲線から生まれる光と影が美しい「アイ」、床に星形の光が広がる「スター」にも惹かれたが、木に厚みがあることで柔らかい光を放っているシンプルな格子の「ランタン」と細やかな光の模様が存在感を放っていた「朧(おぼろ)」に決めた。


「山形の旅 ~古きよきものと新しいものとの融合が、新たな魅力を生み出す~②」へつづく


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