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『はて知らずの記』の旅 #23 福島県・白河

(正岡子規の『はて知らずの記』をよすがに、東北地方を巡っています。)

二つの城

 大きくカーブして車両が白河駅に入る。
 プラットフォームに降りると、高台に端正な城が見えている。
 一八九三年にここに来た正岡子規も城を見ている。
「ああ、あれを見たのだな」と思うかもしれないが、それは誤りだ、ということに気づかねばならない。
 正岡子規が書いているとおり「東半里許りに結城氏の城址あり」なのである(半里は約二キロメートル)。
 駅から見えているのは白河小峰城である。
 他方、正岡子規が訪れたのは白川城跡である。グーグルマップでは「白川(搦目)城跡」と表示されている。確かに、駅から東に二キロ程の距離にある。

 なぜこれほど近くに城が二つもあるのか。

結城氏の本拠は、小峰城より東へ約三キロメートルの所に位置する白川城であったが、結城氏一族の内紛のあった永正年間(一五〇四~一五二〇)以降には、本拠が小峰城に移ったと推定されている。

 白河市のウェブサイトには、そうある。

 続いて疑問が生じる。
 正岡子規が来た当時、駅近の小峰城はどうなっていたのか。駅から見えたなら、少しは言及があってよさそうなものである。

慶応四年(一八六八)の戊辰戦争白河口の戦いで焼失落城した。明治以降、城郭はその多くが民間へ払い下げられた。本丸を中心とした範囲は、陸軍省の所管となり、のち明治二六年(一八九三)に白河町に払い下げられた。二之丸・三之丸の城郭遺構については、その多くが埋められ、農地や官公庁舎、住宅地として利用された。三之丸には、明治二〇年(一八八七)に東北本線が敷設され駅が設置されるなど、近代白河のまちへと変化を遂げる。

白河市ウェブサイト

 当時、城は無かったのだろう。
 正岡子規が汽車を降りた地点が三ノ丸だった。
 では、現在駅から見えている天守はいつできたのか。

昭和五〇年代後半から、本丸・二之丸を中心に都市公園としての整備が開始され、平成三年(一九九一)には三重櫓、平成六年(一九九四)には前御門が、発掘調査の結果や文化五年(一八〇八)成立の「白河城御櫓絵図」を基に木造で復元整備され、往時の姿をしのばせている。

白河市ウェブサイト

 小峰城のある城山公園は、ちょっと羨ましいくらい素敵な空間になっている。

銘・忠・感

 白川城跡の傍にある感忠銘を目指している。
 白河は鉤型の多い街である。
 直交させればよい道を、あえてカク・カクと曲げている。
 城下防衛上の知恵らしいが、自分はF1コースのシケインを連想する。
 車を運転する人は、レーサー気分になるだろうか。

 かなり歩く。
 徒歩三十分を見込んでいたが、それ以上歩いてる。
「畦道辿り行く」とあるが、畦道ではなかった。当時この辺りはもう米作地帯の中だったのだろう。
 畦道を三十分以上かけて行くなんて、正岡子規はよっぽど城跡と感忠銘が見たかったに違いない。

 右手に小川が流れている。
 向こう岸は鬱蒼とした緑で、まるでジャングルである。白川城跡はこの小山の中にあるらしいが、自分は行かない。
 麓にある感忠銘は、写真で見たイメージより小さかった。
 ずいぶん手前の位置で柵が進入を防いでいる。近くに寄れないから、遠目に眺めるだけだ。
 壁面の下の方に、「感」「忠」「銘」の三文字が、右を先頭に刻まれていた。
 その下に漢字らしきものが縦に並んでいるのが見えた。

感忠銘は、白川城跡の北東搦目にある高さ七・六メートル、幅二・七メートルの磨崖碑です。この碑は文化四年(一八〇七)に、地元の大庄屋・内山重濃(しげたね)が、結城宗弘・親光父子の後醍醐天皇に対する忠烈を後世に伝えるために彫らせたものです。

 案内板が説明している。
 一三〇〇年代の出来事に感心した一八〇〇年代の人がこれを作った。
 それを九〇年後に、四国出身の二〇代の若者が見に来た。
 その一三〇年後に、自分が見に来た。
 正岡子規はわざわざ碑文を写し取ったらしい。明治の忠君愛国とは、そういうものか。

壁面の左下あたりに「銘・忠・感」

何かありそな……

 その夜、正岡子規は遊廓へ行ったらしい。
 谷津田川せせらぎ通りを進む。
 小振りながらも洒落た造りの新橋を渡った。
「割烹」「旅館」「スナック」などの文字が眼に入って来る。
 川べりの立地。緩い上り坂。
 ああ、ここは昔、確実に色街だったな、と思う。いまも現役かもしれないが。

 翌朝、正岡子規は天満宮を散歩している。
 白河市立中央公民館そばの天神神社がそれだ。

夏木立 宮ありさうな ところかな

 と詠んでいるが、街道が行き止まった先の本当に「何かありさうな」丘の上に神社はあった。(手前にはコンビニが営業していたりするのだが、面影は残っているものだなあ。)

『はて知らずの記』の旅を通して感じたことは「風」だったと総括したが、ここにも風が通った。しかし一〇月の夕暮れに感じる風はすでに冷たかった。

天神神社で見つけた句碑

 新白河駅に向かう。
 真っ直ぐな割に交通量が皆無の不思議な道がある。
 さては昔の鉄道路か? と勘が働いたが、果たしてその通りだった。白棚(はくほう)線という鉄道の廃線跡だった。

 歩きながらシャインマスカットの実を食べた。
 噂を聞いて一度食べてみたかったのだ。
 しかし値が高い。
 ところが今日、地元のスーパーで十粒くらいのパックが五三七円のところ、なぜか一六二円の捨て値で売られていた。それを持って来ていた。
 ヘタの部分を摘まんで口に入れた。
 ブリンブリンの弾力があった。お菓子のグミを連想させた。
 感動した。これは人気が出るわけだ。まるで食べる宝石だ。
 味というより触感だ。呑み込める皮が舌の上に残るところが嬉しい。
 そういえば、正岡子規の好物は果物だった。
 当時のブドウにこんな品種は無かった。
 これは正岡子規に食べさせてあげたかったな、と思った。

(次回に続くかも)


本日の旅行代

秋の乗り放題パス 七八五〇円
シャインマスカット(パック) 一六二円
合計 八〇一二円


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