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小池太郎です。

皆さん、こんにちは!
小池太郎と申します。

これからもnoteで色々なことを発信していくにあたり、改めて自己紹介をしたいと思いました!


過去から、今後の展望やビジョンを通して私のことを少しだけでも知っていただけたら幸いです!

幼少期

幼少期の記憶は少ないですが、真っ直ぐ続く坂を登りいくつかトンネルを抜けた後、三浦海岸沿いをずっと進むと幼稚園があったのを覚えています。

幼少期は比較的おとなしい子だったと思います。
理解能力が遅く、いつも隣のさえちゃんという女の子にワークなどを手伝ってもらっていたのを今でも思い出します。

後は宮沢賢治さんのアメニモマケズを当時クラスみんなで音読しており、未だに暗記しています。

4才からは、BSC(バディスポーツクラブ)に毎週金曜日に参加してサッカーを習っていました。
練習に行きたくなくて、しれっとバスで帰ったのも懐かしいです。(笑)

地元のサッカークラブ (小学校時代)

小学校1年の時、母親に連れられ地元のソフトボールの見学をした時に、ぼくは隣でやっているサッカーに目が行ってしまい、サッカーがしたいと言うと認めてくれました!その日3年生と一緒に混ざって練習したのを覚えています。

地元のクラブは横須賀市内では強く、毎年恒例の三浦半島大会では、35チーム位参加する中、小1ベスト4、小2、小3で優勝。小5時には3位と、周りからは常勝チームと謳われていました。


しかし、神奈川県大会になると話は変わります。中央大会(ベスト32)にも進めず、相模原市や茅ヶ崎市のクラブに惜敗。
井の中の蛙、大海を知らずとはこの事かと身を持って体感しました。

中学受験

小5の時、小学校の仲良かった友達が
「おれ、中学受験をするんだよね!」
という一言をキッカケに、俺も受験したい!と母親に伝えたのがぼくの中学受験の始まりでした。


最初に伝えた時は、当然両親からは猛反対。
私立は学費が高いし受験するための塾だってお金がかかるんだから!と散々の言われようでした。

とはいえ、ぼくの真っ直ぐな気持ちが伝わったのか最終的に親や地元のサッカークラブのコーチからも、「太郎がやりたいなら!」と受け入れてくれたのを今でも覚えています。

色々と受験勉強する中で辛い事もありましたが、上位成績表に載った時の喜びがたまらなく、勉強にもハマっていたのを覚えています。

最終的には横浜にある関東学院中学校に合格をいただき、入学をしました。

中学校時代

中学に上がり、初めての電車通学や馴染みのない横浜市、新校舎での生活など新しい事が多く、緊張の日々でしたが、徐々に慣れていきました!

部活は卓球かサッカーで迷いましたが、サッカー部の雰囲気が良く、またサッカーをする事に決めました!⚽️

私立のサッカー部だった事もあり、南は三浦市、北は東京都大田区と色んな地域でプレーしていた人達が集うチームになりました!

同学年は14人と決して多くはなかったのですが、チームは尻上がりに調子をあげていき、中2の冬季南区大会優勝。横浜市の各区代表が集う日産スタジアム杯ではべスト8まで進みました!

中3の時には神奈川県私立リーグで3位決定。
首都圏私立中学校チャンピオンズカップに神奈川代表として出場しました!
団結力のあるチームだったと今振り返っても思います。

だがしかし、、、はしょってはいますが結構中学時代は僕の黒歴史もありました。


部活動で借りていたスポーツ施設の更衣室内にある消火器を勝手に噴射させたり、エナメルバッグを頭にぶら下げながら部活の顧問の先生に挨拶したり、数学の授業中に騒ぎすぎて追い出され、廊下で授業を受け続けたり、友達の提出する宿題プリントを勝手に引き裂いたり etc… 
親はもちろん多くの方に大迷惑をかける人間でした。他にもここでは書ききれないほどやらかしたエピソードがあります。

また、とにかく自分の容姿には自信がなくいつも俯いて登下校していたタイプの人間でした。
電車に乗っていると知らない人達から、
「あいつキモくない?」など容姿の悪口を言われるのも普通になっていました。


勉強面では英語と音楽が好きでした。
地元が横須賀というのもあり、日々アメリカンの英語を聞いていたのもあり、上達させたいという意欲はあったかと思います。

高校時代

高校もサッカーを続ける事にしました。
中高一貫校だったので基本的にメンツは変わらずでしたが、部活で特に仲良かった友達が町田ゼルビアのユースへいく事になっていて驚きました。
また、中には別の部活に転部する人もいました。

勉強に関しては、平均年収が文系出身の人より約80万円位高いというのを塾講師から聞いて、無理やり理系を選択したタイプです。

案の定、物理の授業は全くついていけず成績は1をとっていました。(笑)
数学も化学もダメダメで、今選び直せるならば100%文系を選んでいると思います。。。

成績は英語意外は決してよい成績ではなく、大学受験はどうしようと頭を抱えていました。

それでも学校や塾の先生から喝を入れていただき、何とか日本大学に一般入試で合格しました。


大学時代

中学も新鮮でしたが、大学は更に新鮮でした!
まず規模が違い過ぎるということ。人数も全学年合わせると学部内に7000人はいたと思います。

また全国区から大学に集まっており、大学内では方言が飛び交っていたりと、何もかもが新鮮でした!

そして、4月はどこのサークルに入ろうかと新しく出来た友達と一緒に周っていました。

もちろんフットサルサークルを目当てに周っていました。サッカーよりもフットサル派の人間だと自負してたので、フットサルにかける想いは強かったです。

しかしながら学科で仲良くなった友達に「カッター部」( 大きいボートを12人で漕いで2000mのタイムを競う競技 ) を見に行こうぜ!と言われ、渋々見に行く事になりました。
早く別の所に行こうよ、、そう思ってたのもつかの間、流れで試乗会に参加する事になりました。。。

結局、ぼくは仲の良い学科2人と共にカッター部に入部する事になりました。(笑)
そんなノリで入っていいのか?と迷いましたが、入ると言った同期のマネージャーさんが可愛いかったので即決しました!←

サッカーは複雑ですが、カッターは単純スポーツなので、自分には合ってるかなと思ったのも事実です。

しかし、最初は優しく接してくれていた先輩達もいざ部活になると厳しくなり、ぼくは本当に辞めたいと思った事もありまくりでした。

そもそも合宿所にお風呂がない。。。(笑)
僕たち男子は何とか耐えられるけど、女性もそのような環境下で過ごしていたのは、本当に凄かったなと今でも思います。

また、マネージャーさん達が部員達のご飯を作る為にわざわざ交通費かけて来てくれていました。
卒業してからその本当の有難みに気づきました。
自分も今当たり前に思ってしまっている事はないだろうか?
今でも自分を戒めるべきと感じられるのはこの経験があるからこそです。

そんな僕達に出来ることと言えば、大会で結果を出すことです。人数が少ないとか言い訳は出来ますがやっぱりまずは結果がほしい。。
日々同期と想いを話してました。

その想いが神様に届いたのか、3年のラストの大会では、東日本大会 第3位に入賞しました。
OBの方からもいい漕ぎをしていた!と褒めてくださり、この上なく幸せでした!☺️

ぼくは、楽して得たものはその分喜びや達成感も半減する。逆に沢山苦労して何か得た時の喜びは計り知れない喜びになると肌で感じました!✨

大学では農業でボリビア研修に行ったり、友達と海外サッカーを現地観戦したり、中学生に農業を教えたり etc… 
沢山面白い経験をさせてもらいましたが、魂が震える程の喜びはやはり部活動で結果を出した時です。

社会人になってもそんな喜びを得るべく、負荷をかけていこうと思いました!!

新卒時代

新卒でぼくはとあるスーパーに入りました。
理由は社長がカッコ良かったからです✨️

ぼくは、社会人になったら食品商社に入り、海外出張がしたいと考えていました。✈️
しかし、現実はそう甘くはなく、商社の面接にはとことん落ちてしまいました。
自分という人間が否定されているのでは?と段々と悲しい気持ちになりました。

また、新卒で入った会社でぼくは人生の半分が決まってしまうものだと思っていました。
だからこそ慎重に色んな企業をリサーチしてましたが、何千何万とある企業の中から一つを選ぶなんて、正気ではないだろうと思っていました。

そんな中、ご縁のあった僕が新卒入社したスーパーマーケットの社長さんは、面接時に、
「会社をゆくゆくは事業拡大させて海外展開し、日本食の素晴らしさを世界に広める!」
というビジョンに魅了され、素直にここで頑張りたいと思ったのがキッカケです。

そして3月の研修を終え、晴れて社会人になり自分もいよいよ新たな人生の開幕だ!と意気込んでいたのですが、入社前と後で、自分が思い描いていた社会人生活とはかなりGAPがありました。

ここでは内容は敢えて伏せさせていただきます。
なぜなら、今もその方々に対して何か負の感情を持っているかというと、そんな事はなく寧ろ感謝しているからです。

ただ、当時は自分なりには悩んでいました。
体重は10kg落ち、精神科にも通っていました。

そして残念ですが別の道を歩む決意をしました。
同期からも今が頑張り時だよ!など励ましてもらいましたが、僕の意志は固まっていました。

いただいたご縁と、これからに向けて

やめる事は決めていましたが、その後どの業界で何をしたいのか?今後のキャリアデザインをどうするべきか真剣に悩んでいました。

親戚や大学の友達に相談したり、まこなり社長のYouTubeを見て勉強したり、大尊敬している鴨頭嘉人さんの講演会に参加してみたりなど、思考錯誤の日々を過ごしました。

そんな中、たまたま大学時代の友達に教えてもらった異業種交流のイベントをキッカケに、人材会社や不動産等、多事業展開されている社長さんとのご縁をいただきました。 
 
友人の紹介でお時間をいただけることになり、今後のキャリアデザインの悩みを余すことなく話しましたが、その社長さんはゆっくりと頷いて聴いてくださり、全て受け入れてくださったのを今でも覚えています。

その上で、YouTuberやブロガーになれば儲かるといった、どんなビジネスをすれば良いか??ではなく「誰」がビジネスをするかが大事なんだ。
どんな事業でも扱える、世の中に通用する経営者を多く輩出し、達成を共に分かち合いたい!!

楽して稼げるやり方はこの世に存在しない。
努力一本で、リアルを一緒に変えよう!!

そんな社長の想いを聴き、直感的にこの方と仕事をしたい!基準に食らいつきたい!と思い、環境を変えて行動し始めました。

もちろんここでも同様に、最初は今までの生活とのGAPに色々と悩みました。
しかし、何事もポジティブに解釈し励ましてくれたり、部活動の時の様に汗を流しながらお互いの成長を喜び合える仲間の存在が自分の背中を支えてくれています。

今では平日は営業職に精を出しつつ、土日は自分で海外の友達などを呼んでイベントを主催したり、セミナーに参加して自分を高めています。

将来のビジョン

自分の将来のビジョンは、自分自身のチームを作ること。そして最高の仲間と共に爆笑しながら仕事をして目標達成を分かち合い、どんどん収入のステージをアップさせていきつつ、一生青春をして後悔のない人生にすることです。


また、コラボレーターとして色んな方々とコラボし、子供達に「大人って最高に楽しいんだぜ!」
という事を伝えていくそんなカッコいい人になる事です!!😆


僕が一番コラボしたい方は…サッカー元日本代表10番の「香川真司」選手です。
2010年のキリンチャレンジカップで、パラグアイを相手に決勝弾を決めたのを現地で観て衝撃を受けた事を今でも鮮明に覚えています。

そこからの活躍は人々を魅了しました。
2011アジアカップでカタール相手に同点弾を決めた時、マンUに移籍してからハットトリックを達成した時など、今も現役で活躍されている姿を見て僕も勇気をもらっています。本当に憧れの存在です。

プロサッカー選手としてコラボは出来なかったが、必ずコラボレートすると決めています!

そして直近の目標は2025年12/1日付に法人化する事です!
既に社名は決めています!!早く皆様に発表したい!!(笑)

結婚出来ないのに子供の名前ばかり考える人みたいにならぬ様、計画に落とし込みます!!

他にもやりたい事を挙げてみるとキリがないため、まずはこの辺にしておきます。(笑)

生きている事に感謝しつつ
ご縁を大切に日々全力プレーで生きますッ😄

最後までご覧いただいて誠にありがとうございました!!

皆さんの幸せを心より願って。


小池太郎























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