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その努力を認めてくれたのは誰?

これは、数ヶ月前に考えていたこと(書いていたもの)です。
男性の多い構図の中で居場所を与えられた女性のことを考えました。
その物言いから取り沙汰されがちな杉田水脈さんと私の話です。

彼女は女性の敵でしょうか。


杉田水脈さんという人について思ったことです。
少し前までは話題に上がった発言などから、どうしても理解に苦しむ、これ以上何かを発言しているところを落ち着いては聞いていられない、と思っていました。しかしこの度、彼女のことを考える機会を得たので、もう少し考えてみたのです。

彼女はきっと男性多数の社会の中で長い時間を過ごしてきたのではないかなと想像します。常に周りには男性がおり、そしてその中でもより発言権の強い男性の発言で多くのことが決まっていくような社会で。そして、彼女はその中で懸命に(定かではありませんが、ある程度周りに合わせたり相手を立てたり自分を押し込んだりしながら)生きてきたのではないかな。そうするうちに、男性たちから認められたり可愛がられたり評価されたりして、今まで仕事をしてきたのではないかな。

思い返すと、私も少し似た状況にありました。

男性ばかりの組織の中で、女性としての立場で仕事をする。会計、接待、お茶くみ、雑用、花束を渡す役、壇上の人に水をもって上がる役、そんな役割を任されていました。それは副次的な仕事で、本来の仕事ではそのようなことを割り当てられたことはなかった。でも、同業者で組織するその集団の中では、女性としての役割が準備されている。飲み会では何十人もの中で女性は私とあと一人。そんなことが普通でした。私にとっても。

疑問にも思わなかったのです。その組織の集まりに参加した初めの日から、ずっとそうだったからです。

飲み会のときには、お酒の減り具合を確認して次の注文を聞き、グラスを下げると男性の先輩に褒められました。接待のときに、笑顔で対応すると男性に褒められました。自分のしたことを褒められると、自分はこの組織の一員なんだと思うことができました。

その組織に属することは時間を奪われることでした。月に何度も勤務時間外に集まりがあり、お金は一銭ももらえません。しかし、男性たちの中には、その組織に名前を連ねることを名誉だと感じている人も多い様子でした。本来私のしていた仕事に昇格はありませんでしたが、その組織に属することを昇格のように感じているようでした。全国的に名前の知られている人や、国の機関に属している人たちに会って名刺交換するのが嬉しそうでした。男性たちが名刺を交換して話をしてる中、私は空いたグラスを店員さんに渡していました。
その組織がいいか悪いかではなく、ただただそんな組織だったのです。

それでも、私はその組織に属していることを名誉に思っていました。数少ない選ばれた女性なんだと思っていました。仕事のできる立派な男性に肩を並べているのだと思っていたのです。そして、そこに居場所のある自分でいたかった。組織に属している以上、組織の人間に好かれる以外の生き方を知らなかったのです。今思うと、単純にNoと言えない人に声をかけただけのことだったのだと思います。

杉田水脈さんのことを改めて考えて、もし杉田水脈さんが今の場を追われることになれば、どうなるだろうかと考えました。周りにいる男性が褒めてくれている間は大丈夫。持て囃されているうちは大丈夫。守ってくれている間は大丈夫。もし、周りの男性たちが杉田水脈さんを見限るときがきたら、どうなるんだろう。きっと、もう同じ仕事は続けられないだろう。他の場所でも同じような主張を続けていくことができるのだろうか。彼女はどうなってしまうんだろう。私があのとき、もしも途中で組織に疑問を抱いたとして、意見することはできただろうか。組織に居場所がなくなると分かっていながら、自分の意見を主張できただろうか。

酔っぱらった人たちの大きな笑い声を聞きながらグラスを片付けていた私と、杉田水脈さんが少し重なって見えました。
女性用の仕事を担う私を褒める男性たちから与えられた居場所に収まっていた自分と、女性という立場から女性を責める発言をすることを周りの男性から期待されている杉田水脈さん。

男性多数の社会の中で、数少ない女性としての立場を求められながら生きてきた杉田水脈さんの努力を認めてくれたのが、もっと違う価値観を持った人たちだったなら。そしてその努力が、もっと違った方向だったなら。
その組織の中での女性として生きていく方法ではなく、自分が自分として生きていける方法を見つけることができていたなら。彼女も私も。

過去形ばかりで書いてしまいましたが、これは私の過去に対する後悔と学びの機会を与えてくれたことへの感謝ともう二度とそのようには生きたくないという決別です。

女性の敵は女性ではありません。
女性の敵は男性ではありません。
敵は、変化を拒み、今まであった構図に人を押し込もうとする社会です。
敵は、そんな押し込まれた人の苦しみの上に立って笑う人です。
私は、そんな社会に、人に、Noを言いたい。

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