『忍耐して進め! 一九〇八年の樺太探検記』 かつて日本の領土だった樺太とはどのような場所だったのか?
井川夕慈のKindle電子書籍『忍耐して進め! 一九〇八年の樺太探検記』より一部を抜粋して公開します。
かつて日本の領土であった樺太とはどのような場所だったのか?
何か面白そうな古書はないかと漁ってみたところ、『樺太探検記』なる書物を見つけた。発行は1909年(明治42年)である。
読んでみたら、これが何とも〝珍〟な内容だったので人に紹介したくなった。
それがこの本を作ることにした理由である。
……
鮪の鋸屑~波高く夜暗し
12月25日正午、ボーウボーウという元気の良い太い汽笛が小樽の港内に響き渡った。これは「じゃあ、ちょっと行って来るぜ」という船仲間の挨拶で、静かに錨を抜いた汽船駿河丸は船首をぐるりと向け直すと、真っ黒の煙を吐きつつ樺太に向かって一直線に走った。
この日は西の強風、波高し。駿河丸は僅かに732トン。郵船会社が使い古した老朽木造船ではあるが、船長は野澤亥蔵(いぞう)と言って、水夫から鍛え上げたという42、3の色の黒い小柄な男で、数十年間強風怒涛を相手として戦った跡は眉宇の間に歴然と表れて、七分の苦味に三分の愛嬌、真に好個の船長面だ。
今、夕陽は大洋の彼方に没しようとして一入(ひとしお)大きく赤く輝いて、その美しい光線を荒れ狂う海上に投げつつある。船長と記者は、上下右左に動揺する船の欄干に確(しか)と掴まって語る。
「なーに、冬の北海はこれが常態で、我々の仲間ではこんなものは時化(しけ)のうちには数えません。しかし今夜あたりはきっと時化ますなー」
「時化ますかね? 僕はもうこのくらいで沢山ですが……」
「いやいや、これじゃーシベリアの氷原を横断なさろうという探検家の門出には甚だ呆気ない。是非とも冬の北海の真の荒れ模様を御馳走しなくちゃー、ワハハハハ」
「しかし余りに猛烈に過ぎると折角の御馳走もすっかり吐き出さなくちゃならなくなるかもしれません。先ほどから既に一等室の方では2、3人が小間物屋を開いていたようです」
「ワハハハハ。……御馳走について面白い話があります。昨年の冬に樺太へ行った時でしたが、実に妙な物を食わされましたよ。鮪(まぐろ)の鋸屑(のこぎりくず)っていうものを」
「何の鋸屑?」
「マグロです。魚の鮪です。何しろ氷点下3、40度にもなるんですから、水気のある物は何でも凍ってしまうので、魚にしろ牛肉にしろ石のように硬くなって到底包丁などが立つものじゃないので、鋸でゴシゴシと挽いて刺身なり何なりを作るのですが、その鮪の鋸屑を温かい御飯の上に振り掛けて醤油を掛けてやるのですが、ちょっと乙なものです」
「へえ! おそらく八百善へ行こうが八百松へ行こうが、そんな珍料理は食えますまい」
「珍料理はまだまだあります」
船長は得意になって珍料理を紹介したが、読者諸君を慣れない御馳走に食傷させては申し訳が立たないから追々運び出すことにしよう。
……
実際、樺太が我が内地人に向けて余り紹介されていないのは事実である。ただ地図の上でその位置と形とを知るくらいにとどまって、その内情を知悉する者が極めて稀なのは遺憾に堪えない。ここにおいて我が樺太の現状を世上に詳細に紹介することは、シベリア探検の副産物として記者が当然に尽くすべき一大責任であることを感じた。
(続きはKindleでお楽しみください。)
こんなアニメもありますね。
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