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子ども・子育て支援金制度はこうして始まった。#12 保険という言葉を使うと、子供を持つことが、よくないことだととらわれないか

(子ども・子育て支援金制度創設に係る国会審議の論点を整理しています。)

 支援金は保険料、と政府は言う。
 それは、何保険の保険料なのだろうか。
 なぜ「こども保険」を創設すると言わないのだろうか。


日付:2024年4月11日
会議名:衆議院 地域活性化・こども政策・デジタル社会形成に関する特別委員会
発言者:日本維新の会 一谷勇一郎
こども家庭庁長官官房長 小宮義之

一谷 社会で本当に支えていくのであれば、私は、介護保険という、保険という名前がついたのがよかったなと思っているんですよ。だから、子供保険という、保険という名前をつけてしまって、アイデンティティーを変えたらいいんじゃないかなというふうに思うんですけれども、これは朝の連合審査の意見を聞いて私、今ここで話していますので、回答できなかったらできなかったでいいので、もし回答できましたらお願いいたします。朝の連合審査の答弁も受けてですね。
小宮 お答えいたします。
 社会全体で子供、若者をどうやって支えていくかということについては、皆で支えていくということを第一義に、大事に考えつつ、そのやり方、方策については今後議論がされるべきであろうと思っております。
 なお、私の理解では、過去の御議論の中で、保険という言葉、特に子供保険という言葉を言葉として使うと、いわゆる保険事故若しくは保険リスク、つまり、子供を持つということが、ともするとよくないことだととらわれないかという御議論があったようなことも承知しております。
 いずれにしても、具体的なことについては、今後、まさに我々も含めて御議論いただければと思っております。
一谷 これは質問しませんけれども、今のを聞いていると、じゃ、介護保険は、介護を受けるということはよくないことなんじゃないかという理論になってしまうというふうに思いますし、今回、社会保障費でこれからの保険を、国民皆保険を継続させる、未曽有の少子化を乗り越えて日本を安定させていくということであれば、別に保険という名前の意味合いも変えてしまったらいいんじゃないかなというふうに私は思いますので、これは意見として述べさせていただきたいというふうに思います。


参考資料等

椋野美智子、田中耕太郎『はじめての社会保障 福祉を学ぶ人へ 第13版』有斐閣アルマ 2016年

一般には「保険とは、同様な危険にさらされた多数の経済主体による、偶然な、しかし評価可能な金銭的入用の相互的充足である」とされる。

保険とは、共通の危険にさらされた多くの人が集まって、お互いに保険料という形で少しずつ費用を払い合うことによって、事故時の損失の危険を保険者に移転させ、多くの人の間に危険を分散し、プール(共有化)する仕組みであるともいえる。

ここで大切なのは、保険とは、一定の確率で発生することが予測されているが、いつ、誰に発生するかは誰にもわからない危険(保険事故とか、リスクということも多い)に備える仕組みだということ。危険に備えるには、何よりも、危険の発生を予防すること。これがもちろん基本。しかし、どんなに注意しても手段を講じても、発生を完全には防げない場合も多い。保険は、そんな場合に、事後的に、危険が現実に発生した場合に、その人の経済的な必要に応える仕組み。
 だから、別の言い方をすると、対象となる危険は、各人が制御できないものであることが必要。たとえば、死亡は保険の対象になるが、離婚や子どもの出生は、当人の意思で左右できるので、保険事故にはなじまない。だから、生計維持者の死亡に対しては遺族年金が対応するが、離婚などによる生別ひとり親世帯に対しては児童扶養手当制度、子どもの出生・育児については児童手当制度というように、社会保険を補完する一連の社会手当がつくられたことは、第2章で見たとおり。

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井川夕慈
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