ユヴァル・ノア・ハラリ『Nexus』を読んだ。#1 私たちは今、情報ネットワークの大革新期を生きている
邦訳が出るのを待とうか(2025年3月5日発売予定)……とも思ったけれど、
上・下巻の二分冊になるようだし、各巻二二〇〇円と予告されているから合計四四〇〇円になるし。いくら日本政府が〝デフレ完全脱却〟を目指しているとしても、ちと高すぎやしないか? かといって公共の図書館に入るのを待つと、自分の借りられる番がいつ回って来るか知れない。
――というわけで、英語版で読むことにしました。亀の歩みで。(私の購入時はKindle版で一八〇〇円。また値上がってない?)
読み終えて、ユヴァル・ノア・ハラリは現代のアリストテレスのような人だと思った。
以前『『ニコマコス倫理学』の道案内』という電子書籍を作ったときに、アリストテレスはフレーミングが上手い人だと書いた。
補助線を引くのが上手い人だと。ケーキを切り分けるのが上手い人だと。
<こういう風な枠組みで世の中の事象を整理するとスッキリするよ>という〝枠組み〟を提示してくれる人だと。
ユヴァル・ノア・ハラリも、この本で〝枠組み〟を示したのだと思う。私たちは今どのような時代を生きているか、について。もちろんハラリの場合、アリストテレス以降の二〇〇〇年を超える歴史が〝料理の素材〟に加わっているわけだけれども(どうでもよいけど、ハラリはひろゆきと同じ一九七六年生まれなんですね)。
◇
邦訳のタイトルは「情報の人類史」と仮置きされているようだが、原題は以下だ。
「情報ネットワークの歴史」とする方がより正確だろう。
煎じ詰めれば、この本のメッセージは何か。
私はそう受け取った。
なぜなら、それらは害をもたらす(既にもたらしている)からだ。
どのような害か。
極端を云えば大量殺戮からの人類滅亡だが、もう少し分解して云えば次のようになる。
ヒトは地球における百獣の王である。
その力(power)の源泉は、〝協働(cooporation)〟にある(これは『サピエンス全史』の帰結だったか)。
協働を可能にしたのは、情報ネットワーク(information networks)である。
ところが昨今登場したAIや巨大ITプラットフォームは、情報ネットワークを変容させて、ヒトの協働を阻害する(既に阻害している)。
どのように?
これを理解するには、まず情報(information)とは何かを正しく認識することから始めなければならない。
情報とは何か。
情報には二種類ある。
一つは、真実(truth)の追求を目指すもの。これは現在では科学(sciences)が担っている。
もう一つは、秩序(order)の形成を目指すもの。これは必ずしも真実に基づいているわけではない。
情報の大半は後者だ。
そして情報を力に変えるには、真実に基づき、かつ、ヒトの間に秩序を形成して、協働を可能にしなければならない。
ヒトは時間をかけて情報ネットワークを構築してきた。
それはパワーアップの歴史だった。技術(technology)により情報ネットワークを変革して、協働の度合を高めてきた。
どのように?
ヒトの間に秩序をもたらす情報とは何だろうか。ヒトの協働を可能にするもの、ヒトとヒトとを繋ぐもの、と言い換えてもよい。
それは、間主観的実在(intersubjective reality)だ(私は「共同幻想」と言ってもよいと思う)。
最初は物語(story)だった。文字発明前の神話であり、文字発明後の聖典だ。
次に文書(documents)だった。無味乾燥な記録であり、それを駆使する人的仕組みが官僚制だ。
次にマスメディアだった。新聞・ラジオ・テレビだ。これにより最大規模の協働が可能になった。それが国レベルの政治(politics)だ。民主政(democracy)であり、全体主義(totalitarianism)だ。
どちらが優れているか。
民主政の方が優れている。なぜなら民主政には自己修正機能(self-correcting mechanisms)があるからだ。科学が成功しているのもこのためだ。全体主義は誤りを早期に是正できずに大きな悲劇を生む可能性が高い(例えばナチズム、スターリニズム)。
20世紀半ばから現在にかけて、新しい技術が登場した。
コンピュータでありAIだ。
これにより、情報ネットワークが刷新されようとしている。
どのように?
これまでは、情報ネットワークのノード(節)を担うのはヒトだった。もしくは(それ自体は判断を下さない)文書だった。
そこにAIが加わった。これは、情報ネットワークにヒト以外の決定主体が初めて加わったことを意味する。
これは古くて新しい問題だ。
情報ネットワークの革新なら過去にもあった。だから古い問題だ。
革新期の初期にヒトは失敗を経験してきた(例えば欧州の魔女狩り)。
でも修正して乗り越えてきた。
しかし今回変革をもたらしているのは、かつてないほど強力な技術だ。
ヒトの常時監視が可能だ。
しかもヒトはAIの思考過程がわからない。なぜAIがその結論に至ったのかを理解できない。
さらにヒトを差し置いて、AIどうしが会話して能力を高めていく。
ヒトがこの新たな技術を飼い馴らして情報ネットワークを成功裡に革新できるかわからない。
だから新しい問題とも云える。
社会信用システム(social credit system)が例示される箇所で、私はやはりアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』を連想せずにはいられない。
既に失敗は発生している。
例えばフェイスブックのキュレーション・アルゴリズムが生んだミャンマーのロヒンギャの内戦だ(目標のアラインメント問題)。
例えばボットの偽情報が生み出すポピュリズムだ。ポピュリズムは民主政を破壊するものだ。AIが加わった情報ネットワークのもとで民主政が機能するかどうかは定かではない。
だから、ボットを禁止せよ、巨大ITプラットフォームのキュレーション・アルゴリズムを公開せよ、巨大ITプラットフォームは広告収入に頼るのではなくサービスを有料化せよ、などとハラリは提案するが、これについてはあまり詳しくは語られないし、その実現可能性も怪しいものだ。同書は解決策を提示するものではない。
結論。
技術自体は善でも悪でもない。
新しい技術がヒトの間に協働をもたらすか対立をもたらすかは私たちの決定次第だ。
情報ネットワークの進化という観点で歴史を振り返れば、現在の私たちの立ち位置はそのように解釈できる。
――というのが同書のメッセージだと私は理解したが、本当にそうかどうかは来年出る予定の邦訳本などで各自ご確認ください。