将来のために書き残す――「子ども・子育て支援金制度はこうして始まった。」
将来の教訓のために
「子ども・子育て支援法等の一部を改正する法律案」が国会で審議されている。
法案は、衆議院をアッという間に通過した(3週間足らず)。
先週金曜日に、参議院の本会議で、趣旨説明および質疑が行われた。
このまま行けば法案は、6月に成立するだろう。
そうなれば、2026年度(令和8)から、子ども・子育て支援金(以下「支援金」)の徴収が開始される。
ニッポンの皆さんは、それでいいのだろうか?
衆議院の審議を通して、私たちが国会に送り込んだ代表たちの意見が収斂したとは、まったく思えない。
とりわけ支援金について、政府・与党と野党の主張は、真っ向から対立したままだ。
自由民主党の裏金問題と同時進行である点も気になる。
これは、リクルート疑惑の追及と同時進行した消費税法案の成立過程を思い起こさせる(1988年)。
もしも政治資金パーティー券収入不記載のゴタゴタが無ければ、支援金制度創設の議論は、もっともっと世間の注目を浴びていただろう、と思うのだ。
それが、まったくもって〝無風〟と言えるくらいの静けさのうちに進行している。
岸田内閣の少子化対策加速化プランが成功するにせよ失敗するにせよ、どのような考えのもとに支援金制度が導入されるに至ったのか、ということは、多くの人が知っておくべきであろう。また、私たちはそれをしっかりと記憶して、後々の教訓にすべきであると思うのだ。
そこで、国会におけるこれまでの議論の要点を整理しておこうと思う。
私は子を持たず育児経験も無いため、加速化プランの給付面の善し悪しについてはよく分からない。これについては、私より適した人がどこかで書いてくれるだろう。したがって、ここでは負担面の支援金制度についてだけ述べる。
また、現在国会審議の途中であり、会議録のほとんどはまだ公開されていないので、この記事は後で更新する可能性のあることをお断りしておく。
国会質疑の要点
法案は内閣が提出したので、与野党議員の質疑に、政府(大臣や官僚)が答弁している。
以下に、その要点をまとめる。
(政策目標について)
Q.「少子化傾向の反転」は何を意味する?
A.子を持ちたい人の希望が叶うことによって、出生率の向上。
Q.国民に特定の価値観を押しつけることになるのでは?
A.子を持ちたい人の希望を叶えるもの。
Q.政策効果をどうやって測定するのか?
A.KPIを設ける。例えば、希望出生率と実際の出生率との差などを見て行く。
(支援金について)
Q.支援金は税なのか社会保険料なのか?
A.社会保険料。
Q.社会保険には負担と給付の関連が明確という特徴があるが、子を持たない人にとって何が給付になるのか?
A.医療保険制度の持続可能性が高まること。
Q.負担と受益の関係が明確ではないのではないか?
A.医療保険制度の持続可能性が高まるから明確。
Q.少子化対策が功を奏して実際に子どもが増えないと受益は生じないから、受益が確実にあるとは言えないのでは?
A.……。
Q.医療保険料の目的外使用ではないか?
A.支援金は医療保険料ではない。また、持続可能性が高まることによって医療保険制度に受益があるから、制度の目的外使用ではない。それに、医療保険料を医療以外の他の制度に拠出する仕組みがすでにある。
Q.このように関連性が希薄なものを社会保険と認めてしまえば、何でも社会保険料として徴収できてしまうではないか?
A.支援金を充てて実施する対象事業は法案の条文に明記されており、立法プロセスを経ることなしに対象事業を増やすことはできない。(国会の決め次第)
Q.今回の負担を、なぜ税ではなく社会保険料に求めることにしたのか?
A.インフレだから増税は不適切。財政状況から公債発行も不適切。財源は、その時々の経済・財政状況に応じて適切に選択されるべきもの。今回は、歳出削減をした上で社会保険料を徴収するのが適切。
Q.2012年の三党合意で、少子化対策の財源は消費税に求めることに決めたのではなかったか?
A.三党合意は維持されている。主な財源を消費税とすることに変わりはない。
Q.年収別の支援金負担額を明示せよ。
A.将来の所得水準に依存するから、現時点では明示できない。令和3年度医療保険料の4~5パーセントをイメージして欲しい。
(補足:徴収する支援金総額を決めた後に、所得等を基準に各保険者に負担を割り振るから、現時点では料率が確定しない。)
Q.支援金は現役世代の手取りを減らし、少子化対策に逆行するのではないか?
A.歳出改革の範囲内で徴収するから、逆行しない。
Q.支援金は企業の賃上げ原資を減らし、賃上げを抑制するのではないか?
A.歳出改革の範囲内で徴収するから、抑制しない。
(「実質的負担は生じない」について)
Q.「実質的負担は生じない」の意味は?
A.支援金という拠出は増えるが、歳出改革の範囲内だから、差し引きで負担は生じない。それを保証する指標として、社会保障負担率がある。
Q.社会保障負担率とは?
A.社会保険料/国民所得。分子に、税負担や窓口負担は含まれない。
Q.歳出改革の効果に、高齢化による社会保険料の自然増分は含まれないから、自然増分を上限として社会保険料が増えることもあるのではないか。
A.その通り。
Q.なぜ財源を社会保障における歳出改革に縛るのか。社会保障以外の歳出改革も含めればよいではないか?
A.社会保障以外の歳出改革の効果は、防衛費にあてるため使えない。
所感ならびに近未来予想
以上の理解を踏まえ、私の所感と近未来予想を述べれば次のようになる。
(所感)
・支援金を社会保険料と位置づけるなら、「子ども・子育て保険」の「子ども・子育て保険料」と名づけよ
制度の性格を明確にするため、こう名づけるべきであろう。
それをあえて「支援金」と呼ぶのは、やはり通常の社会保険とは異なるものだという〝後ろめたさ〟があるからではないのか。
[追記1] 後日、驚愕の答弁がされているのに気づいたので追記する。政府は、支援金は社会保険料だと言っている。では、支援金を使って行う事業は社会保険給付なのか? と問われた政府は、社会保険給付ではない、と答弁している。つまり支援金は、徴収する局面では社会保険、給付を行う局面では社会保険ではない、というまったく得体の知れない制度ということになる。だから「子ども・子育て保険」とは名づけようがないし、それならば、医療保険料の割増である、という説明の方がまだマシだったのではないか、という気がする。異次元の少子化対策と言うが、実は支援金こそが〝異次元〟の存在であり、支援金制度の導入は岸田内閣の〝異次元〟の離れ業なのだ。
・保険料か税かの議論には、もはや意味がない
既存の社会保険の財源がすでにグチャグチャだから、支援金だけを取り上げて議論しても虚しい、と感じる。
それにしても腹立たしいのは、負担と給付の関係の明確性が、社会保険の〝利点〟として、これまで制度維持の口実に使われてきたことだ。
今回は、負担と給付の関係が明確でないものに社会保険を使うのだ。
今後はもう、その口実は通用しないだろう。
また、「実質的負担は生じない」の論拠として、政府が「社会保障負担率」なる耳慣れない指標を持ち出したことには、作為的なものを感じる。
・税でできないのなら、自発的な寄附制度にせよ
寄附で集まる資金ほど「支援金」の名にふさわしいものはないだろう。それこそ、国民の連帯意識そのものだ。
国民の自発的な寄附に財源を求めれば、低所得の〝子無し〟層から、高所得の〝子持ち様〟層に対する強制的所得移転になるのでは、という懸念もなくなる。
政府の主張するように受益があるというのなら、ふるさと納税のような返礼品を用意しなくても、寄附金は自然に集まるであろう。
また、少子化対策財源の負担を強制されることに抵抗があるのは、子を持つことはやはり、医療・介護とは異なり、本人の選択の問題だ、ということがあるだろう。
病気になること・介護が必要になることは誰にでも起こりうるリスクだ。だから困った時はお互い様、皆で助け合おうという気にもなるが、子どもを持つ・持たないは、自分で選択可能なことだ。それを国をあげて支援するということは、特定の希望や価値観を持つ人を国が支援することになる。(コロナ禍にGoToトラベルで、旅行業界や、旅行に行きたいという特定の希望や価値観を持つ人を支援したのと同じことだ。)
その意味でも、誰にも受益があると強弁するより、支援したい人が自発的に支援する仕組みの方が、受け入れられやすいであろう。
寄附頼みでは財源としての安定性に欠けるというなら、少なくとも寄附制度と〝併用〟にしてはどうか。寄附で集まった分は、翌年度に徴収する支援金総額から控除する等の工夫ができるのではないだろうか。
(近未来予想)
・若い世代の多くは、これまで以上に出産を抑制するだろう
少子化の理由についてはさまざま言われているが、私が思うに最大の理由は、今の日本で子どもが生まれたら、その子は自分たちよりもハードモードの人生を生きることになるだろう、と多くの人が予想しているからではないのか。出生傾向は〝将来予想〟が影響しているような気がしてならない。今の日本に子どもは生まれないほうがいい。それが自分のためだし、何よりその子(?)のためだ。子を持つなら少なくとも海外に逃がしてあげられる準備ができた後でなければ……そう考えているが人が多いのではないだろうか。
支援金制度ができることにより、国民負担のルートは増える。
一方で、財源はその時々の状況で適切に判断されると政府は回答しているから、今後の少子化対策その他の財源として、消費税率の引上げが否定されたわけではない。
加速化プランの効果がいまいちであれば、支援金の負担率は引上げられるだろう。これまで消費税率が引下げられたことが一度もないことを思えばよい。2026・2027・2028年度の支援金は歳出改革の範囲内で徴収すると附則で定めているが、その先どうするかは何も決められていないのだ。歳出改革のタガが外されることも考えられるが、それも将来の国会の決め次第ということなのだろう。将来の国会がどうなるか? 現在の国会を見ればいい。無風状態で制度創設が決まりそうではないか。将来にもまた、選挙がない間にスイスイ負担増が決められていく様子が目にうかばないだろうか。
以上のことから、支援金制度の創設は、「今後もこれまで通り負担は増え続ける」という国民の〝将来予想〟を強化するのに貢献するところが大であろうと思われる。
なお、給付面には言及しないと述べたが、一点だけ指摘しておきたい。
政府は「こども未来戦略」の基本理念の第一に、「若い世代の所得を増やす」を挙げている。この認識は正しいと思うが、対策がズレている。加速化プランの対策は、〝子育て世帯の〟所得を増やす政策であって、〝若い世代の〟所得を増やす政策ではないからだ。
そもそものところがズレている以上、大きな効果は期待できないだろう。
(後日追記:「若い世代の所得を増やす」は全体の「賃上げ」でやるそうだ。)
・同世代の間で〝子無し〟層と〝子持ち様〟層の分断を深めるだろう
法案審査に登場する国会議員がほとんど世襲であるのに似て、今後はますます〝親の経済力〟がモノを言うようになるだろう。負担は増える、という将来予想がある限り、若いうちから安心して子を持つことができるのは、たとえ将来負担が増えたとしても大丈夫、と言えるくらい財力のある家系に集中するだろう。
支援金制度によって、そこに向けて強制的に所得が移転する。
社会は、より殺伐としたものになるだろう。
・第三子以降重視の政策により、もしかしたら出生率は微増するかもしれない
加速化プランの第三子以降重視の政策により、もともと第二子を持てるくらいに余裕のある世帯は、第三子・第四子……を持とうとするかもしれない。そうなれば、もしかしたら出生数や出生率が一時的に増えるかもしれない。政府はその成果を強調するかもしれない。
しかし、私にはマイナンバーカードのことが思い出される。カードの取得率は飛躍的に上昇した。しかしあれは、マイナポイントを貰うために多くの人が手続をした、というだけのことだろう。確かに数字は増えた。しかしそれで、私たちの国は、いい国になっただろうか。
仮に第三子以降重視の政策で出生率が多少上がったとして、それでいい国になったと言えるのか? 私たちはそういう社会を目指したいだろうか? 多くの人はそうは思わないのではないか、と私は思う。
・それでも政府は何もしないわけにはいかない
偏った所得の再分配が行われるこんな国は、子どもが生まれなくなって消滅してもいい――そう思っている個人がいたとしても、ホッブズのいうリヴァイアサンとしての国家には、そしてそれを操縦する権力者には、人口減少に直面しながら何もしない、という選択肢は無いだろう。自身の生命の存続がかかっているのだから。
リヴァイアサンがいる限り、結局、個人は政府の信奉する少子化対策に従わざるを得ないのだろう。
・まったく思いがけないルートで出生率は回復するだろう
新型コロナウイルスのパンデミック → 経済危機 → 諸外国の金融緩和 → パンデミックの終息 → 諸外国のインフレ → 諸外国の金融引締め → 諸外国との金利差に由来する円安 → 日本国内のインフレ → 日本国内の賃上げ(名目) のルートでまったく思いがけなくインフレと賃上げ(名目)が実現したように、出生率が回復するとすれば、それは机上の戦略ではなく、まったくもって思いがけない経路によって実現するに違いない。
人口がこのまま窒息死するとは思えない。どこかでリバウンドするであろう。
願わくばそれは、こういう風に生きれば日本でもけっこう幸せに生きていけるじゃないか、自分の子どももきっと幸せに生きていけるに違いない、と多くの人が思える時であって欲しい。
しかしそれがいつになるか、岸田内閣の目指す2030年までに起きるのか、50年後なのか、100年後なのか、それ以上なのか、私にはまったく予想がつかない。
今後、参議院の議論もフォローしていきたい。
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