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『一〇〇年前の鳴子温泉情話』 昭和初期、夏。一週間の東北温泉旅行。

Kindle電子書籍 あいかわ ゆうじ『一〇〇年前の鳴子温泉情話』より一部を抜粋して公開します。


緒言

 国立国会図書館デジタルコレクションのウェブサイトを漁っていた。
 松崎天民『旅行気分山水行脚』(三水社 一九二八年)なる本を見つけた。
 その中に「鳴子温泉情話」なる章があった。
 私はその温泉街を、陸羽東線(りくうとうせん)の車窓から眺めたことがある。
 いつか立ち寄ってみたいと思っていた。
 私は、一〇〇年前の温泉旅行に出かけることにした。
 線路ではなく、文字の上でのことである。

一 遠刈田温泉

 昭和初年八月上旬の朝――
 私は上野駅発の汽車で、東北路へ向かった。
 一週間だけでもよい。
 この東京の暑熱から逃れたい。
 涼しい山の温泉場(おんせんば)に起き臥ししたい。
 しかし何処もかしこも満員で驚いた。
 閉口した。
 最初の夜は、東北本線白石(しろいし)駅前の宿屋に泊まった。

 次の日は五、六里の道をガタ馬車に揺られた。
 それから小さい汽車の煤煙(ばいえん)に咽(むせ)んだ。
 そうして遠刈田(とおがった)温泉に来た。
 白石駅周辺には、鎌先(かまさき)温泉や小原(おばら)温泉もあった。
 しかし私は何となしに、山の温泉へと引きずられて行った。

 遠刈田温泉は山間の平地に位置している。
 宮城県の〝地方的温泉場〟――
 たいした設備も無い。
 しかし宿屋は、大きいのが一二、三軒もあった。
 塩類泉と炭酸泉の二種。
 脳病(のうびょう)や胃腸病に効有りと言う。
 どの宿も満員に近い景気であった。

 多くは地方人だが、東京人もいた。
 三分の一くらいか。
〝山中の心易い湯治場(とうじば)〟の気分が、乱れた家並みの軒に漂っていた。
 私は大きな宿屋で昼食を掻き込んだ。
 そして西へ、二里の山路に入った。
 蔵王山に近い青根(あおね)温泉を、喘(あえ)ぎながら目指した。


(続きはKindleでお楽しみください。)


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井川夕慈
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