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"尽くす女"で何が悪いのだ

「○○ちゃん付き合った人にめちゃ尽くしちゃいそう🥺笑」
マッチングアプリ内で今しがた男性から受け取ったメッセージだ。

昨日、飲みの場で大学時代の先輩にも
「追いかけられるより追う方が好きなの?」と聞かれた。
というか、自身の恋愛話を披露すると「尽くしそう」「追う派でしょ」と言われがちだ。
"尽くす"と"追う"は厳密には意味合いが異なるのだろうが、何にせよ彼らの言葉の中には
"なんかtoo muchな女だな"
という思いが(無意識にでも)隠されているのだと勝手に受け取っている。

そうなのかもしれない。
私は彼氏のためならエンヤコラドッコイショ芸人なのだ。

大学時代に初めてできた彼氏の時からその気は全開だった。
「明け方に元カノが俺んちに寝に来るから、それまでに部屋の掃除しといて」
と夜中に自宅を出た彼氏を一言も責めることなく、明け方4時過ぎまで床に散乱した煙草の吸い殻や腐ったお茶が入った紙パックを捨て続けた。品の無い丸文字の手書きメッセージ入りのピンク色をした名刺カードも発掘したが、無心で捨てた。
元彼と前カノと3人川の字で寝たあの静寂な地獄は、他ではなかなか味わえないだろう。

今暇してるから、と突然大学に呼びつけられた時も、バイト終わりに休む間もなくすぐ駆けつけた。
合流して早々虫の居所の悪かった彼に、たった10分程で「もう帰る」と怒って帰られたけど。
帰りのバス内で人目もはばからず1人大泣きしたな。

献身的な看病もしたな…

これだけ尽くしてきたにも関わらず、結局半年間で冷められて終わりを告げられた。
別れて1週間後、飲み会終わりに私の目の前で共通の知人女性をお持ち帰りして行った時は、「これまで数々尽くしてきた事、全部アホらしかったな…」と一気に目が覚めた。
腐ったお茶なんて部屋中にぶち撒いて、女の子の名刺カードは壁に貼り付けの刑にしてやれば良かったのだ。

しかしこれに懲りず、それ以降の彼氏に対しても
"会う頻度は徹底して相手に合わす"
"呼ばれたらいつでもどこでも駆けつける"
"率先して部屋の掃除" 
と、アルソックとルンバのハイブリッドのような女を務めてきた。


"女は追うより追いかけられる恋をしろ。男は追いかけられると一気に怠けて冷める。"
Twitterに生息する自称恋愛マスターのツイートで何百回と見てきたアドバイスだ。

でもよく考えてほしい。
(上述のエピソードは明らかにやり過ぎだが、)恋人に尽くしたり追いかけるのはそんなに悪いことなのか?
"恋人に振られないこと"を目標として、このアドバイスが正しいと仮定すると、確かに追いかけることは悪手なのかもしれない。

でも恋人って言うのは、相手のために行動したいものだし、それで愛を育む関係性ではないのか?
愛で成り立っているのに、愛情を表現したら終わってしまう関係っておかしくないか?
彼が喜ぶ姿を想像してお菓子を焼いたり、彼が風邪を引いたら咳き込む背中をさするべく家に駆けつけたり、会いたい気持ちを遠慮がちに表現することすら許されないと言うのなら、私は今後一切生涯のパートナーに出会える自信が持てない。
彼に振られないことばかり考えて愛情表現を押し殺す延命治療のような恋愛よりも、ありのまま降り注いだ愛を喜んで受け取り合う恋愛じゃないとダメだ私は!


なので、冒頭の「追いかけられるより追う方が好きなの?」に対する回答は
「追いかけられたいし、追いかけたい」の一言に尽きる。
今までのような都合の良いアルソック対応は卒業するが、あともう少しだけ変わらず"尽くす女"でやっていこうと思う。

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