だから明日も6:00に起きて仕事に行くんです

久しぶりに丸一日暇だったので映画を2本観た。
丸一日暇だったというか、元々予定はあったのだけど、俺が金がなさすぎるせいで日程変更になった(ごめんなさい)ので、結果的に丸一日暇になった。

さまざまな不幸が重なって今月はあと26円しかなくて、どうして一応ちゃんと正社員として働いているのにこんなにもお金がないのかしらと悲しい気持ちになるけれど、きっとそれは多分酒を飲みすぎるからだし、仕事を辞めると酒の量がかなり減るというのは過去2回の退職を経て経験として知っているから、つまり俺は一生金銭の絡む幸せは手に入れることが出来ないんだろう。接続詞の多い文章を書くと自分が嫌になる。

お金で幸せになる事は今後もきっとないだろうけど、人生において自分が大切にしているものってどうやらお金とは全然ベクトルの違う物らしいと気がついて、貧しくても別に良いかという気持ちになった。それでも生活するにはお金がかかるし、やりたい事をやるにもお金はかかるからやっぱりお金は必要なんだけど、裕福である必要はない。それだけが救い。

『万引き家族』という映画を今更観た。公開当時話題になっていたし、なんとなく俺はこの映画が好きだろうという予感があってずっと観たかったのだけど、やっぱり当時もお金がなかったから映画館には行けなかった。良い映画だった。登場人物に感情移入というか、主人公たちに対する周りの人間に対するとてつもない怒りが自分の中に沸き起こる映画だった。別に誰も悪い人じゃない、良い人でもないんだけど、ただお金がなかったり、法律が味方してくれなかったり、それだけ。心があったし、愛もあったし、ただ一生懸命生きてた。ただ一生懸命生きるだけでは抜け出せない事もあるし、みんな脛に傷を持ちながらも生き続ける選択をできるのは凄いなと思う。

『オーバーフェンス』という映画も観た。Twitterで雑に邦画のお勧めを聞いたらバンドのボーカルが勧めてくれた。オダギリジョーがオダギリジョー過ぎてよかった。函館(なのか?)の景色が美しく、こう言うところで生活したいととても思う。ぶっ壊れてる人間が出てくる映画なのだけど、ぶっ壊れてる部分を外に出せるのは美しくて怖い。人は誰しもぶっ壊れてると思う。それを表に出すか出さないか、出せるか出せないかでしかない。別に変わり者だと思われたいわけではなく、俺だってぶっ壊れてる部分ってあると思うし、それを隠しながら生きていくのが大人になるって事なのかもね、と思う。

最近従姉妹が結婚した。これで俺を除く従姉妹が全員結婚したことになる。俺は別に結婚がしたい訳じゃない(結婚がしたくない訳ではない)んだけど、俺だけこの歳になっても結婚してないし、従姉妹たちは結構みんな良い職について、しっかりと地に足つけて生活していて、俺はと言うと一応正社員だし毎日ちゃんとスーツ着て仕事に行ってはいるものの生活はこのザマだし、みんなみたいに上手に生きられなくてごめんね、と思う。親に対して。
上手に生きることだけが正解じゃないのは知ってる。そう言ってくれる人もいる。それは本当にありがたいし、俺自信別に上手に生きていきたい訳でもない。上手に生きるよりはもっと自分が大事にしているもの、例えば風が気持ちいいとか、潮の匂いがするとか、道端で見た花の名前を知りたくなったりとか、誰かとわかり合いたいと思ったり、そう言うことの方がずっと大事。だけど眼に映る社会からは上手に生きる事を求められるし、それが時々苦しい。自分が大事にしている事は社会全体から見たら蔑ろにしても構わない物だし、そういう世間との乖離を感じたまま社会で生きていくというのは、人に言わせれば甘えだろうけど、苦しい。苦しいと言うよりは悲しい。悲しいと言うよりは寂しい。

別にネガティブな意味ではなく、自分が他人と比較して優れている部分って特にないし、それを事実として受け止めているからこそ、ある程度はしっかり生きなきゃならんなという気持ちはある。
だから明日も6:00に起きて仕事に行くんです。

馬刺し食べたい。それでは。

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