海が見たい。人を愛したい。

怪獣のバラードが本当に好きだ。「海が見たい。人を愛したい」以上に素晴らしい歌詞には今後きっと出会えないのだという確信がある。合唱曲って昔は授業で強制的に歌わされるものだったから全然好きじゃなかったのだけれど、この歳になって聴くと本当にどれも良い。俺も海が見たい。人を愛したいと思わず叫びたい。それはそれとして。

何も気にせず発言すると「何かあったの?」とか「病んでるの?」と聞かれたりする。心配したり気にかけてくれるのは本当にありがたい事だと思うけど、何かあった訳でもなく、病んでる訳でもない。ただ自分の平常時のテンションが、世間の言う所の「暗い」に該当するのだと言う事はようやくわかった。自分の心の具合というのはきっと錆びて高さの調節ができなくなった自転車のサドルとか、経年劣化で一部読めなくなってしまった電球の型番とか、そう言うものに近いんだろう。普通に使用して生きていくだけならなんの問題もない。今更背が伸びる事もないし、電球の型番なんてわからくても電気屋のおっちゃんに写真を見せればピッタリのものが買える。だから大丈夫。

最近愛というものについて人と意見を交わす事があって、当たり前だけれど愛の定義は人によって違うのだと言う事を再確認した。(意見を交わした相手はとても意見の合う人だったけど)
愛と言っても恋愛に限定したものじゃなくて、多分もっと広義の愛について。その中で各々の認識する愛って非常に狭義的だね、という話をした。
気づかなかったから愛だった、という事だって世の中にはたくさんあるだろうけど、気づかれなければ相手からしたら愛でもなんでもないんだろう。愛だと思っているのは自分だけで、相手からしたらなんでもないんだろう。そういう事を思った。

どんなに近しい友達でも現在進行形の辛さを吐露出来ないし、辛さ以外でも本音をなかなか話せない。言葉として出るのは本音の中の上澄みの部分だけで、残った沈澱した汚れは結局誰にも言わずに幾重の層になって、積み重なっていくから上澄みの部分すら次第に減っていき、その内誰にも何も言えなくなるのかなと思ったりもする。
忙しくなれば何も考えなくても済むのかしらと思っていたけど、むしろ忙しければ忙しいほど考えることは増える一方で、きっと大したこと無いはずの事に逐一落ち込んだり、人それぞれという言葉に救われなくなって普通のメンタルを手に入れたくなったり、繰り返しながら、心はちっとも大人になれないままなのに身体だけはしっかり老いていく。老いていくと言っても20代なのだけど、それでも、この肉体はいずれ朽ち果てるのだという確信がある。

やりたい事に使える時間ってどうしても少なくて、結局やりたい事とやらなきゃいけない事を天秤にかけて、ズッシリと重い方を選ばなくちゃいけない。やりたい事をやるには生きていく必要があるし、生きていく為にはやらなきゃいけない事をやらなきゃいけない。当たり前なんだけど、それが当たり前だと言うことが俺はとても悲しい。それを甘えだと言われる事も悲しい。それでも俺は、悲しみながらもやらなきゃいけない事もやってるのにね。つまりはそういう事。音楽はやりたいし、小説なんかも書きたいと思う。楽しいから。何かを作るのが好きなんだと思う。

思い出の中の自分が羨ましすぎて一歩も前に進めない。でもそういう思い出がなければきっと今日まで生きていないとも思うし、なんの思い出もないよりずっと良い。戻りたいと思えるあの頃があるのは、凄く良い。そのせいで立ち往生してしまったとしても。

道端で馬鹿でかい声量で騒ぐ大学生を見ても苛つかない。自分にもそういう時間があったと思うから。電車で隣に座ったおっさんが餃子臭くても苛つかない。自分だって匂いの強い食べ物を食べた後に電車に乗ったらそうなるだろうから。でもさっき見かけた、号泣しながら歩いてる若い女性を見た時は羨ましかった。自分の人生の中でそういう瞬間はきっと無いだろうから。

19歳の春から涙がほとんど流れなくなった。もうそれから10年近くが経っていて、この10年で流した涙は一度だけ。数ヶ月前、もう何度目かもわからない風立ちぬを観た時に突然涙が出た。何度も観たシーンで、今更泣くとかないだろうと思う事すらしていなかったのに、本当に不意打ちで普通に泣いてしまった。どんなに少なく見積もっても10回以上は観ている風立ちぬで泣くとは思わなかった。いつも泣くという感覚はあっても涙までは流れない、という調子でこの10年間を過ごしてきた。ついに涙が復活したのかと、これからははちゃめちゃに涙を流して水不足の国を救えるのかと、そう思っていたけど、結局それから涙は流れない。別に泣きたい訳じゃないから良いんだけど。
この間はじめて人に現在進行形の辛さを100%吐露して、その時にかけられた言葉があまりに優しくて、泣きそうにはなった。

涙が流れないからって、シンクに無造作に転がるサッポロ黒ラベルの数だけ悲しみはあるのよ。それでは。

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