厚切りのハムカツと高級コロッケが許せないんだ

半年ほどnoteの更新をしていなかった。半年ぶりの更新で話し出す話題として適切なのかどうかは一旦置いておくとして、俺は、厚切りのハムカツと高級コロッケが許せない。

そういえばあけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

noteを更新していない間に俺は住んでいる期間の全てを緊急事態宣言やらマンボウやらに邪魔をされ、店的な意味では魅力がゼロだった千葉を捨て、西東京市の住民となった。

友達がだいたい東京に住んでいて、友達のことは好き、けれども都会は大嫌いな俺にとってなんとちょうどいいネーミングの街だろうか。その程度の理由で西東京市を選んだ。なんか片田舎っぽい雰囲気あるし、飲み屋とか多そうだし。実際かなり多いし。駅前にはそこそこの大きさの商業施設もあり、ドラッグストアも業務スーパーもある。コンビニも大手3社揃っているし、あたしんちというアニメの舞台でもあり、何より俺の愛する松屋がある。この街に足りないものは朝まで、もしくは朝からやっているラーメン屋だけだ。

西東京市の話をした後でこんな事を言うのは憚れるが、大都会新宿の居酒屋でメニューを見ていた時、「大人気!」のポップの下に煌々とその存在を主張するお品書きを見た。『厚切りハムカツ』馬鹿が。

ハムカツというのは、昔の貧しい核家族が、お父さんが朝から晩まで泥だらけで働き、お母さんが時々指を怪我しながらも内職し、お腹が空いたと喚く子供を宥め、泣き喚く赤ん坊をあやし、たまの贅沢くらい良いじゃないかと赤ら顔で帰宅する親父の顔面をぶん殴りながらも美しくくらす家族が、「とんかつが食べたいね。でもとんかつは高くてうちじゃあ食べられないからね。ハムでも揚げてみようか?ほら、サクサクして美味しいよ。薄いからこそだね、このサクサク感は」という、生活の知恵だ。実際のところは知らないし、多分違うと思うが、そういう背景のある食べ物だと俺は思っている。

ハムカツは、薄切りだからこそハムカツなのだ。ハムカツの良さは全て、薄切りであるが故なのだ。それをなんだ、厚切りハムカツって。厚切りにしたらサクサク感は失われる。なんか噛んだらムニッとするし。第一ハムが美味いだけだ。しかもハムを厚切りにしたら、その分の値段が嵩んでハムカツのチープさが失われる。

「ハムカツのハムを厚切りにしたらみんな嬉しいんじゃないか?」そんな何処ぞの馬の骨の思いつきが、ハムカツの全てを台無しにした。悲しいかな、ハムカツのハムを厚切りにする。ただそれだけのことで、これはもう、ハムカツでは無くなってしまうのだ。

「ねえ、先輩、俺はね、だから厚切りハムカツが許せないんですよ」5杯目の大ジョッキを傾けながら俺は管を巻く。そんな俺の話を、先輩はうんうんと頷き、頷きながら注文ボタンを押し、「厚切りハムカツください」と言った。実態の伴わない優しさは人を傷つけるだけだぜ。

厚切りハムカツはすぐに運ばれてきた。上へ上へと立ち登る湯気は、幼き日に見上げた遠ざかるばかりのひこうき雲のようだった。俺はその、あの日ひこうき雲を眺めていた頃の感覚をまだ知っている。高揚。そうなのだ。人は誰しも厚切りの肉を前にすれば高揚してしまう。原始の頃からの抗えぬ本能。

箸で挟む。確かな弾力。
一息に半分に噛み付く。じゅっという音。溢れ出す肉汁。なんだこれ超美味しい。厚切りハムカツ万歳。厚切りハムカツが、ハムカツとさえ名乗らなければ。そんな思いを打ち捨てるように、俺は本能の赴くままに厚切りハムカツを食べ進めた。一息に完食し、俺は先輩に言ったね。「もう一回頼みません?」

書くの飽きたので終わりにします。

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