居酒屋の会計の安さで歳をとったと気づく夜
最近仕事が馬鹿みたいに忙しくて全然家に帰れなくて、帰宅してもやる事があって暇なんて無いに等しいにも関わらず、いつ飲んだのだろうと首を傾げるほどシンクの隅にサッポロ黒ラベルの空き缶が溜まっている。ブログなんて書くより一刻も早く眠った方が建設的である事なんて分かりきっているのだけれど、疲れが溜まると眠る事も難しくなるらしい。「眠るにも体力がいる」と昔聞いて、馬鹿か?と思っていたが、どうやら真実のようだ。馬鹿は俺だった。人生はそういう風に、昔馬鹿にしていた誰かの知見を自らが歳を重ねて納得しながら少しずつ進んでいくものらしい。
家から歩いて20分程の所に海がある。海と言っても人口浜だし、あくまで商業的な雰囲気の漂う場所だからもの凄く綺麗、という訳ではない。景色を楽しむには石油コンビナートの主張が激しすぎるし、コンクリートの部分も多い。それでも海は海だし、海猫が鳴いて、潮の匂いがして、水面に反射する陽の光はやっぱり眩しい。浜では潮干狩りも出来る。
家族連れがとても多い。コンクリートに座って浜で遊ぶ子供達と、近くで見守る親の姿を眺めて、自分の未来にああいう瞬間が訪れる日は来るのだろうかと最近よく思うようになった。結婚がしたいとか子供が欲しいとかそういう意味合いではなく、単に瞬間の話として、これからの人生にそういう瞬間があるのかという、疑問だ。
20代も後半になると、友人がメキメキ結婚していく。子供が産まれる友人も多い。
気絶するまで酒を飲んだり、一限に間に合うようにと学生寮に泊まったのに三限が終わる頃に目が覚めたり(気絶するまで酒を飲んだせい)、真っ暗な森の中をiPhoneの懐中電灯の光だけを頼りに2時間歩いたり、BUMP OF CHICKENの天体観測とsupercellの君の知らない物語を歌いながら荒川の土手を走り回ったり、ゲーセンでなぜか急にメダルゲームが楽しくなって5時間やり続けたり、ノリでピンプリ撮らされたり、そういう事を一緒にやった友人たちがいつの間にかに誰かの夫になったり、妻になったり、親になったりしている。クリスマスにはサンタクロースをしてる。「クリスマスプレゼントに子供にあげるゲームってダウンロード版でも良いのかな?」とか連絡がくる。今ゲームってダウンロード版とかあるんだ、とその時はじめて知ったりもする。大人になると自分の興味の及ばない部分は、教えてくれる身内がいないと本当にわからなくなってしまう。子供の頃にピカチュウしか知らない大人の事を信じられない思いで見つめていたが、俺は炭治郎しか知らない大人にまんまとなっている。
こんな話がしたかった訳じゃないんだけど、何も考えずに書き始めるからいつもこういう事になる。本当は俺は、厚切りのハムカツと高級コロッケが許せない話をしたかったのに。
まあそれは多分誰も興味がないだろうから別の機会に書くとして、というか人が興味を持つ話題の引き出しなんて俺には無い訳だから別に良いんだろうけど、それは気が向いたら書くことにする。こないだ一軒目酒場で厚切りハムカツ食べたらめっちゃ美味しかった。なのにマジで許せないんだよな。
一時期超常連だった新宿のビールとハイボールが安い居酒屋に、先日1年半ぶりくらいに行った。いつもの男性が「久しぶりじゃないですか!スーツだから一瞬わかんなかったっすよ!」と声をかけてくれた。俺にスーツのイメージはないらしい。俺もない。「実は千葉に引っ越しましてね〜」とヘラヘラしてたら、激混みの店内の中でギリ治安が良い席に通してくれた。俺がビールを5杯、友人はレモンサワーを3杯飲んだ。つまみもちょこちょこ頼んだのに、会計は2人で4400円だった。
元の値段の安さを考慮しても安すぎる会計に、歳をとったんだなと改めて思う。いつまでも若いつもりでとかではなく、常に未来が2週間後くらいまでしかないからそういう事実に衝撃を受ける。そういう年の取り方をしています。
今更ながら『愛がなんだ』という映画を観て、「幸せになりたいっすね」と思った。強く思った。岸井ゆきの、タイプでした。
それでは。
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