本質的に幸せになりたいわけじゃない人たち
人は幸せを渇望するもののそこに向かっての積極的な努力を怠ります。
簡単なものなら手に入ります。
生活に大きな影響を与えないから手に入りやすい。
仕事やパートナー、夢や目標は幸せを達成してくれそうですがなかなか到達できずに終わることが多い。
これは脳が昨日と同じでいることを本質的に望んでいるからです。このことはホメオスタシスからも頷けます。
友人知人から相談を受けて、話を聞いてるとその人は話したいだけの場合があります。口で言うほどに、変わりたいわけじゃない。
ネットで見かけるいわゆる推し崇拝の方はカモになることでアイデンティティをもっているので、それは詐欺に近いなにかであっても崩してはいけません。
合法だからいいというようなビジネスの形、それは最終的に誰も幸福にならないとか、正論を言ったところで変わらないのはさきほど述べたホメオスタシスのせいかと思っています。
日本人はどこか狂信的です。
戦争を招いた引き金も島国根性に起因していると言われています。怯えて暮らす民族はなにかにすがりたい。
嘘でも信じてる間はホンモノと言えるわけだし、それが死ぬまで嘘とわからなければそれも幸せなのかも知れません。
私個人としては人に対して何かをしてあげたいと思います。でも多くの場合それは聞いてはもらえますが、最終的に変わることが出来たのはごくわずか。
洗脳術の本も読みました。私がそのような方法で人を導くことももしかたらできるのかもしれませんが、それは嘘に嘘を重ねるだけで本人の自立性や諦めない気持ちを醸成することには寄与しないでしょう。
可哀想だ、と思うのをやめました。
本人は幸せなのだから。
たとえどんな酷い目にあっていても、気持ちよくなっているものを止めるのはもしかたら悪なのかも知れません。
求めよ、さらば与えられん
キリストの格言は時に身に染みます。
本当に変わりたい、今の自分ではダメだ。
諦めない。なんとかしたい。
それらを心の底から思う人にしか、知識も情報も意味はないでしょう。
わからないなら調べられる時代ですが、最後には自由意志に委ねられています。どの情報を選んでどのように解釈するか、相当に悩まないと確からしい答えは見いだせないでしょう。
"幸せになりたい"ってどのくらい?
私はよくこれを問います。
口では答えられてもなかなか本質の伴っていない方を見受けます。
はっきりと私の立場を申し上げるとすれば、「幸せになりたいなら本気で努力しなよ」です。
人を見捨てることが出来ないことは弱いことかもしれませんが、それを辞めたら人間でなくなるような気がして。
斑鳩入鹿