上京してバンドを組むまで1990年代③「船橋市時代」

居候先の親戚の家で夜中に「スターリン」の「虫」をヘッドホンで聴きながら足をバタバタして叔母さんに怒られたりしているうちに、そろそろ自分でアパートを借りられる資金も貯まった。

塗装屋のみなさんもみんな良い人達だったけど「上京→バンド結成→あわよくばデビュー!?」という浮ついた考えをしていた俺はまだまだ身を落ち着かせる気にはなれなかった。

前回にも書いたが情け無いことに何ヶ月経っても足場の上の高いところ(といってもせいぜい三階建て位の高さ)に慣れないということもあり、自分で部屋を借りたら塗装屋は辞めようと思った。

本当は都内に引っ越したかったけど、親戚の西船橋の家から近くで探してたどり着いたのは「船橋法典」という場所。※中山競馬場で有名。

静かな環境かつ広めのアパートで今考えると悪くない場所なのだが、目の前はキャベツ畑で田舎から出てきたばかりの俺は「こんな中途半端なところに住んで果たしてバンドメンバーと出会えるのだろうか?」とも思っていた。(だが後にこのアパートもそれなりにアホな若者の溜まり場となった)

そして同じく上京?して専門学校に行っているKくんに夜中の工場のアルバイトを紹介してもらったのを気に塗装屋は辞めてしまった。

塗装屋の人達には呆れられつつも残念がられた。おっさんばかりの職場で若い職人を育てたかったというのもあるだろうが、それなりにかわいがられていたとは思う。

就職して3ヶ月で辞める→蒸発未遂→親戚のお世話に→また仕事を辞める。

わずか数ヶ月の間にこんな展開を繰り返し親もさぞ心配だっただろう。

田舎者特有の思考パターンというやつで、上京したらストリートでイカしたやつらや可愛いあのコに出会えてもっと明るい未来が始まると思っていた。

それなのに現実はシンナーにまみれてオッさん達のド下ネタを聞かされ、しまいには親方の趣味のゴルフの付き合いでプロゴルファー猿みたいな格好をさせられている。

近所にももう少しパンクスとか居るかなと思っていたけど、実際は競馬開催日には灰色をしたおっさん達が大量に押し寄せてくるだけ。(アパートの前で寝てるおっさんがいたこともある)

「とにかく俺の居場所はここじゃねえ!」

若いってのはそういうことだろうと思うけど、周りに心配をかけていることなど一切気に留めなかった。

あの頃の俺に言ってやりたいのは「そんなに仕事をコロコロ変えなくても音楽はできるから!」ということと、「職場の人がまだメシ食ってるのに横で平気でタバコとか吸うな!」ってこと。

ほんとうに失礼な若者だった。よく殴られたりしなかったと思う。

それだけ周りが優しく寛容だったのだろう。

ああ、今回も音楽の話はろくに出てこなかった。

いつかあの頃住んでたあたりを散策しに行きたいな。

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