上京してバンドを組むまで。1990年代⑤(レコード屋さんでバイト)
深夜の工場勤務をしていたら10代にして帰宅後にワンカップ大関をあおるような生活になってしまった。
そんな矢先、友達のA君がウチに居候してくることに。
居候っていう言い方は違うかな。ちゃんと家賃を折半してくれることになったのでルームシェアってやつだ。
でも当時の雰囲気を思い出すとルームシェアっていう小洒落た言い方にはどうも違和感を感じる。
部屋の隅の段ボールにビールの空き缶が山積みになっていて、そこから小蝿が次々と羽化しているような有り様だったから。
家賃を払う額も半分になるので工場のバイトにがっつり入らなくてもすむ。
もう少し体力的に楽な仕事を探そうと思ってウロウロしていたら船橋のイトーヨーカドーの中にあったレコード屋さんでアルバイトを募集している貼り紙を見つけた。
レコード屋っていうだけでなんとなく楽しそうな気がしてすぐ応募。
レコード屋といってもパンクの専門店でもなければディスクユニオンやタワーレコードでもない。
ただの街のレコード屋さんっていうところが実に俺らしい。
面接をしてくれた店長は当時おそらくまだ30代位だと思うが、伊藤政則と志村けんを足したようなルックス。頭髪もだいぶ薄かった。
よーく見ると頭上の様子が少し不自然だ。
頭に細かな黒いふりかけ状のものが降り積もっている。(たまにCMでやっている頭髪を濃く見せるパウダー?状のもの)
「こんなものを使っている人が実際に世の中に居るんだ!」とある意味衝撃を受けた。
当時は世の中をなめくさりまくっていたので髪型は金髪の坊主で当然私服のまま面接に行き、証明写真もオーバーオールかなんか着てるテキトーな写真だった。
でも、なぜかすぐに採用された。
後に店長から「最初どうしようかと思ったけど真面目そうだから採った」と言われた。
※結局レコード屋さんには数ヶ月しか居なかったので、このありがたい言葉に対しても期待に応えられなかったのだけれど。
さて、A君のことを書こう。
A君とは幼稚園の頃からの幼なじみで(ついでに父親同士も同級生)前にも書いたけど、高校の頃ラフィンノーズのコピーバンドを一緒にやっていた仲だ。
A君はロカビリーが好きでアメリカンタイプのバイクに乗っていた。
引っ越してくるなりバイクは近くの駐車場に勝手に駐車。
ある日土地の所有者のおっさんに見つかり、当然怒られるわけだけど、A君は謝るどころか「あ?広いんだからはしっこだったら停めてもいいだろっ?」とそんな感じだった。(その話を聞いた俺も何の疑問もなく「停めさせてくれたっていいじゃんねー!」と賛同していた)
二人とも田舎者+馬鹿さ加減が若さでスパークしていた。(結局、バイクは駐車場の契約もせずA君がアパートに住んでる間、おっさんを無視してタダで停め続けた)
レコード屋さんのバイトは思っていたより退屈で仕事内容のほとんどが万引きの見張りだった。
イトーヨーカドーの中という立地も手伝って、流れているのは当時の流行りの邦楽ポップス(当時まだJ POPという言い方はなかった気がする)ばかり。洋楽ロックのコーナーもほんの少し。
バイトの同僚の大学生は熱気的な浜田省吾ファンでファッションまでコスプレのように真似していた。他には80年代ハードロッカーばりの巻き髪パーマの年齢不詳な女性社員。元ヤン感が滲み出ているBUCK-TICKファンのお姉さん。筋肉少女隊ファンの社員のお兄さん。といった感じでここにもバンドを組むきっかけになるような人は居なかった。
仕事中の楽しみは昼休みに安い社食で腹一杯食べることくらい。
fools mate(本が小さい頃の)に載っているような怪しいアンダーグラウンドミュージックとは程遠い世界。
どちらかというと明星やパチパチロックンロールの世界だった。
「俺の考えていた上京物語はこんなんじゃない!」
酔っぱらっての帰り道、ストリート(実際はただの商店街)のアスファルトに傘を叩きつけて壊した。
俺は一念発起して楽器屋に貼り紙をしたり、Dollというパンク専門誌にメンバー募集を出した。
そのうちに問い合わせのあった何人かと実際に会うことになるのだが、、。
ようやくバンドっぽい話になってきました。
(これまでは殆どバイト先のおもしろい人のことしか書いていないものね、、。)
長々と引っ張っていますがもう少しお付き合いください。