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超ご高齢の方への向き合い方

何が正解だろうか。
90代の超ご高齢の対象者への介入は増えている。時々こう思うのである。

「本当に〇〇さんには優しくしてもらって。いつも丁寧にありがとうねぇ。すごく話しやすくって嬉しかった。」

対象者のご家族から言われた。
その言葉に相応しい介入はできていたのだろうか。

徐々に衰弱していく。終末期に関わらさせていただくことも少なくない。家で生活していた対象者が急に入院したら、ご家族が驚くのは当然のことである。リハビリを見学されていたご家族が「もう良くなることがないなら少しでも一緒に過ごしたい」と涙ながらに語ってくれた。

ご家族はリハビリのことを〝1日の楽しみ〟や〝チャレンジタイム〟と名付け、介入中もいつも本人に声をかけていた。ほんの少しでも対象者が元気でいてほしい。そんな強い気持ちを感じた。

〝医療従事者としての視点はもちろん大切に、ご家族の思いも理解しようという姿勢で、自分は常に中立的な立場にいて、何よりも対象者本人と向き合おうことを忘れずに〟と心に留めて介入していたつもりだった。

それなのにどこか対象者の元気な姿を家族に見せなければというプレッシャーが生まれていた。

ご家族のための対象者じゃない。
ご本人は何を望んでいるだろうか。

全身状態に応じて目標は適宜修正せざるを得なかった。
書類の説明も併せて、家族には何度か現状を共有・何を目的に介入するのか説明した。そんな中で「もう良くならないってことですかね」「もう歩くのは難しいんですか」と質問もあった。

介入時、対象者に選択肢を提示すると7割方「起きようか」と座位活動を選んだ。3割は「このままがいい」「えらいから起きたくない」と言った。

車椅子に乗って散歩できた日、家族はとても喜んだ。対象者も家族と笑顔で言葉を少し交わすことができた。

覚醒不良や循環動態が不安定で離床を断念した日は、家族はすごく寂しそうな顔をした。家族は対象者とのこれまでの思い出を語ってくれた。涙ながらに。気道浄化目的の体位療法とベッド上でのリラクゼーション中心に介入した。

これで良かったのだろうか。

ご家族の元気になってほしいという強い思いを感じながら、ご本人が十分に意思を表出できない状況で離床を続ける意味。ご本人は何を求めているのか。

『ご高齢だから衰弱していくのは当たり前だろう』と医療者のメガネをかけて本人や家族に接するスタッフ。そんな他職種に対して恐れてしまう私。

色々葛藤はあった。

うまく言葉にまとまらないけれど、ご家族にとって話しやすい相手でいられたのことや、OTの時間がご家族と対象者が喜びや悲しみを共有しながら過ごす時間となったことはよかったと思う。

自己満足かもしれないけど。







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