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それはまるで格闘技のような
養護学校に通った12年間、「好きな科目は?」と聞かれたら「体育!」と答えていました、かんなです。
特別スポーツが得意だったわけではなくて、ただ「難しいことを考えなくていいから」という理由です。しょーもなっ🤣
*
【養護学校(特別支援学校)の体育】ってどんなん?
と思う人も多いと思います。
わたしが通っていたのは、【筋ジストロフィー】と【重症心身障害】の専門病院に併設されている病弱養護学校だったので、大多数の生徒が車いすに乗っていました。
そんな生徒たちに合わせて、体育の競技にも様々な工夫がありました。
以下は、わたしの時代のお話です。
そう…もう30年近く前のお話…むかーし、むかしのことじゃ…
たとえば野球だと、動ける筋ジスの生徒(手動車いすをフルスピードでこげるくらい元気だった)がピッチャーを担当します。
3〜4m先のマウンドから投げるゴムボールを、プラスチックのバットで打ちます。
守備はグローブではなく、虫取り網で。
どうにかセーフになろうと、車いすからヘッドスライディングする負けん気の強い先輩もいました…しかもわりと体格のいい人…先生たち大慌て💦
バレーボールは、ボールが風船に変身。
サーブ、レシーブ、アタックなど、すべてに布団たたきを使います。
相手のスパイクをブロックすると、時々布団たたきに挟まれた風船が割れるという罠も…😱
ほかにもいろいろありましたが、わたしたちが一番楽しみにしていた競技は、
フロアホッケー
という競技です。
このnoteを書くにあたって、「フロアホッケー」を検索してみたら、スペシャルオリンピックス(知的障害のある人たちの競技会)の公式種目だそうで!
恥ずかしながら、はじめて知りました…!
日本フロアホッケー連盟、増田明美さんが理事長なんだ…すごいな…
こんなことを知ってしまってからで恐縮なのですが、今回はわたしの母校オリジナルバージョンのフロアホッケーについて書きますね。
母校のフロアホッケーは、プラスチック製のスティックで、アイスパックの代わりのピンポン玉を打ちます。
キーパーの捕球は、虫取り網。
…我が母校は、どんだけ虫取り網を使うのでしょう…地元の店と何らかの取引でもあったのか…笑
でも、虫取り網は実際便利アイテムでした。
体育以外の日常でも、落ちたものを拾うときなんかは、長さもあるから遠いところまで届くし、網部分で物をすくい上げることができますし。
虫取り網の魅力はさておき。
フロアホッケーは、古くから我が母校の花形競技。
体育の競技でフロアホッケーが採用されるのは中学部からだったので、小学生だったわたしは
「ホッケーのために早く中学生になりたい!!」
と、憧れに胸を躍らせていました。
そんなわたしの教室から見えるのは、スティックを肩に担いで目を血走らせながら体育館に向かう高等部の先輩たちの姿…
それはさながら、戦に向かう武士のような…いやそれは表現がかっこよすぎるな…イキったヤンキーたちが縄張り争いに向かうような、そんな殺気立った雰囲気をまとっていたのですが、それさえもかっこよく見えていました。
そうして中学部に上がり、晴れてフロアホッケーデビュー✨
…したものの、中高6年間を通じて、選手としてのわたしは…なんて言うかこう…ね、自分で言うのもアレなんですけどね…言葉を選ばずに言うと、
へたくそ
でした🤣
球を見れば、何も考えずにスティックを振り回す。
そのくせ、やる気は人一倍で、
「わたしがシュート決めちゃる!!」
と思って無駄にしゃしゃる。
そうして、同じチームになった人に
「へたくそがっ!」と言われる始末。
ちなみに、その言葉を言い放ったのは当時の彼氏です…どいひー。
普段は笑顔が素敵だったその彼は、この競技のときだけ人が変わったように目が完全にイッちゃってました。
でも、それは彼に限ったことではなく、先に述べた先輩たちと同じように、ほとんどの人がそのときだけは殺気立ってしまう…それがフロアホッケーの魔力…
生徒たちの頭の中は、安全よりも何よりも、
どんだけ強く相手にぶつかるか
が第1優先だもんで、ケガをする人も続出。
わたしも目の下に傷をこしらえたことがありますし、先輩たちの代では、車いすの間に足が挟まって指を骨折した猛者が数名いました😱
これは、もはや球技にあらず状態…
それはまるで格闘技のような趣…むしろ、格闘技よりも本能がぶつかり合う競技だったかもしれません。
そういえば、本物のアイスホッケーも「氷上の格闘技」と呼ばれていますよね。
わたしたちのフロアホッケーも、その点では負けず劣らずだったんじゃないかと思います。
*
この競技が人気だったのは、ふたつの側面があったように思うんです。
ひとつは、
「自由に動かせない体でもスポーツができる」
という純粋な喜びや、楽しさ。
養護学校ルールのスポーツなら、健常者とも互角に戦えます。
地域の学校との交流会が年2〜3回あって、そのときにフロアホッケーもしましたが、相手は車いすの操作に慣れていないので、むしろこちらが有利。
普段は何かと劣等感に苛まれがちなわたしたちが優位に立てる、貴重な機会でした。ぐへへ。
もっと車いすの操作方法とか教えながら親睦を深められたらよかったんですけどね…その頃めちゃめちゃコミュ障だったんですよね…
コミュ障ぶりはいまも大して変わってないんだけど、やっぱり変に意識して空回りしてしまうお年頃でした💦
もうひとつは、
思春期のモヤモヤした気持ちを、堂々とぶつけられる場であること。
思春期は、どうってことないことにモヤモヤイライラしたり、恋をしたり、いっちょ前になったつもりでいたり、気持ちが何かと忙しいもの。
その心の動きに、障害の有無は関係ありません。
ただ、我々が暮らしていたのは、病院。
団体生活の流れやルールがありますし、職員の目もあります。
その暮らしの中でモヤモヤイライラしても、ひとりになって頭を冷やす時間や場所を確保するのは難しく、気持ちのコントロールがうまくできないことも多くありました。
そんな悶々とした気持ちを、
「いまは体育の時間!これは体育!」
という大義名分のもと、堂々と暴れ回って発散できる競技が、フロアホッケーだった。
だから人気があったんじゃないかと思います。
*
養護学校を卒業すると同時に、フロアホッケーからも離れて数十年。
競技はその後もずっと続き、近年は学校の体育の枠を超えて、現役学生も成人患者も一緒にフロアホッケーを楽しむ機会も増えました。
それを時々見に行って(へたくそだから参加はしない笑)、みんなが楽しく仲良く律儀にプレーする姿を微笑ましく思いながらも、少しだけ物足りなさも感じてしまうわたし。
安全に、スポーツマンシップに則りプレーする。
当たり前すぎるほど当たり前のこと。
それに、この現代に、あの頃のような激しさはいろいろな面でNG。
なのに、往年のあのギラギラした殺気を恋しく懐かしく思ってしまうんですね。
イキったヤンキー魂が、わたしの心のどこかに潜んでいるのかもしれない…あらいやだ。
いまの学生たちは、思春期のモヤモヤイライラした気持ちを、どこで、どんな方法で発散しているのだろうか…という心配は余計なお世話ですね🤣
*
という思い出話でした。
思い出話をくどくどするようになったら、それは年齢を重ねた証拠らしいですよ…笑
それもまぁいいじゃない(*ˊᵕˋ*)