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人はなぜ心を病んでしまうのか、そしてどうしたら心を守れるのか


こんな病みタイトルで果たして読んでくれる人がいるのか不安すぎる所ではありますが、、

イカノヒモノ、語らせていただこうと思います!笑


心を病むことが生物的視点にてどんなメリットがあるのだろうか?
命を守るための防衛本能で変化を嫌ったりするというのは分かるし、心を病むことで、自分の行動の幅を狭めるということなのかと思う。

変化から逃れるために心を病ませて動けない・思考しないようにさせている。
だが、現代社会では心を病ませてしまったら命を守ることにもならないし、なんなら命を自ら絶つきっかけにもなる。

一体なんの意味があって心を病む方向に持っていくんだろう。。。
なんて疑問から考えてみた。


自分も心を病むことはあるし、放っておいたら世の中に絶望するタイプなので自分の心のケアは手を抜かないように気をつけている。

ケアのために日記も5年間書き続けている。

おかげで、明るい面白キャラな自分がデフォルトになったし、ネガティブをポジティブに変える力はある。

だけど、大変なことがたくさん重なる時はやはり思い詰める時がある。

常に客観視して自分を上から見下ろすようにして考え事をするようにはしているけど、主観的になってしまうこともある。


そして「今主観的になってるな」と気付かないことがある。

これに関しては気付かない自分に正直びっくりするし、自分が思っているよりも自立?確立?できていないんだなと思う。

よくよく考えると自分の力で立つことはできる、でもあえて自立しないように自ら心をネガティブに持っていってることがある・・


これに関してもなぜ自ら自分の心を苦しめに行くのか考えたんだけど、
「癒されたい」ということに尽きるのではないかな。
度合いによっては甘えたい、逃げたいという表現の方が適切だけど。

でも最終的にはこれに尽きるのではないかと思う。

解決方法を見つけたいのではない。
他人と分かり合えないのは当たり前だと心のどこかで理解している。
だからその「何か」との時間の共有をして心を癒したいのではないか、、と。
(「何か」はヒトなのか、モノなのか、環境なのかはそれぞれかな?)

これを考えると人間には現実逃避する時間は必須。



心や思考という目に見えないものに関しては、自分にしか判らない。
このような想いは他人には共有できないし共感もできない。
誰も自分以外にはなれないから。

これはいつも思うけど、この世界で誰一人として本当の意味で気持ちの共有はできない。
人は孤独だよなと。

これに気付かない方がきっと楽だと思う。
主観の中で客観的共感ができるので上辺での馴れ合いができるからね。



この世の真理みたいな部分について考えたことがある人は必ず孤独感を持っていると思う。

私は暇な人間だったので中学生の頃からこんなことばかり考えていたけど、いつまでたっても答えは出ない。
答えの出ない話について議論するのは面白いけど、何かしら意味をつけないと苦しくなる。

「人はなんのために生きているのか」なんて考えても一生答えなんか出ない。
でも自分が生きている意味をつけないと生きていられなくなる。

だから何かにしがみつきたくなる。
もしくは思考停止。
考えることさえも放棄しないと心を守れない。
何かに依存せざるおえない状態になる。
それが恋愛なのか宗教なのか、自分への呪縛なのか・・・

結局これも答えは出ません!!!



なんか世にも奇妙な物語的なノリになっちゃってるけど大丈夫かな😂笑

こんなことはいってるんだけど、
本当の意味で共感はできないけどやっぱり人である以上相談できる人とかは絶対に必要。

異性同士ではなく同性同士でのそういった関係は特に大事だと思う。

とか言いつつも私は人に相談するのは得意ではないし、平気なふりをしがちだけどね←おい


これを理解できる人はきっと同志です!笑

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