静的情報と動的情報とそれに伴う将棋における情報管理について
私は人狼系ゲームで負け、メンタルがやられていた
将棋とはまた別で遊んでいた人狼系ゲーム。
今まで触ってこなかった分野だからというのもあるが、負けに負けに負け気持ちが沈んでいた。
例えば競馬で馬券を外し続けていても、ここまで落ち込むことはないであろう。
むしろ、馬券を外す方が金銭という面においてもダメージが大きいはずなのに、それ以上のダメージが人狼系ゲームの負けにはあった。
しかし、例えば将棋において大事な一局で負けたというダメージとは方向性が異なるダメージ。
いわゆる、暗中模索のなか周りの視界が晴れていないのにも関わらず攻撃が飛んできているような感じである。
恐らくは、絶望感という感覚が言語化すると一番近い感情であろう。
そこで考えた。
今までやってきたゲームと何が異なるかを。
その違いが理解出来れば、視界が広くなるのではないかと。
ローグライクゲームにおける、あてつけ・マッピングのようなものである。
手始めに情報という点で2つに定義を分けることとした。
静的情報:リアルタイムで更新されない情報
動的情報:リアルタイムで更新される情報
上の定義付けをすることで将棋の盤面はもちろん静的情報であるし、人狼系ゲームは動的情報と置くことが出来る。
つまり情報が一定のところで留まらないのが苦手なのであるということが分かった。
ここで人狼系ゲームのアレコレについて話してもしょうがないので、将棋についての静的情報と動的情報について考えてみることにした。
将棋についての情報管理
将棋についてはほとんどが静的情報である。
将棋の盤面はリアルタイムに更新されることはない。
仮にリアルタイムに更新されることがあるならば、審判でも呼んで止めてもらおう。いわゆる反則手だ。
その静的情報の中にも動的情報が少しなりとも隠れている。
それは考慮時間や考えている時の目の動き、体の動き、手付き……等である。
考慮時間以外は面と向かった将棋でしか感じることが出来ないが、考慮時間についてはどんな将棋でも動的情報として利用することが出来る。
例えば短い考慮時間で指し続けてきたにも関わらず、急に長い考慮時間を使ってきた場合。
あるいは長い考慮時間を使って急所に伸びてこない場合。
これらは相手にとって不都合の情報である。
前者はどこかで読み抜けや思い違いがあったということ。
後者は急所の手が見えていないこと。
こういった情報をいかに取捨選択するかが大事である。
例を挙げると、後者の場合は急所の手が見えていないならあえて放置しておくなどが上げられる。
見えていないなら触らなくていいという魂胆だ。
コンピュータ将棋では起こりえない代物である。
そこが人と人の将棋での醍醐味であると考える。
将棋を指す、皆々様はこういった所を視野に入れてみると面白いかもしれない
ということを締めの言葉としてまとまらないこのお話を締めるとしよう。