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比較は思考の起点

人と比較するのはやめよう(自分は自分•••)とよく言いますが、
今回言いたい事は、これとは別の視点の話です。
物事はそんな単純ではありません。
比較はやめましょうと言う場合もあるし、比較しましょうという場合もあるのです。

基本的には、比較はしなければいけません。何事もです。
何故なら、あらゆる思考の起点がそこにあるからです。

絶対的な尺度など存在しないわけです。
必ず何かと比べているわけです。
比べてないと思っても、無意識のうちに比べているはずです。

そうしてできた概念が自分の中の常識となって、思考の基準になるわけです。
だから、今まで送ってきた人生によって、つまり人によって常識は異なります。

この常識を上質のものにするには、意識して比較をする事です。

比較するという行為は、全体を見渡す行為でもあります。比較するからには、少しの比較対象では意味がないので、知りうる限りの比較対象を探すわけです。なので、おのずと全体を見渡す事になるわけです。

比較する事によって理解も深まります。
比較しなければ、自分の常識に疑問を持ちません。
比較するとは、外の世界を見に行く事でもあります。

前述の通り、比較は漠然とではなく意識してする事が大切です。
無意識な比較は脳が勝手に行っていますが、それは正しい比較でない場合が多いのです。都合のいいものしか比較対象になっていない可能性があるからです。

疑問に感じたら、まず比較です。
過去との比較も忘れてはいけません。
今、こんな事になってるけど、昔はどうだったのか。変遷を知ると理解が早まる事があります。

比較する事で、繋がりも見つかります。
あれとこれ、全然関係ないと思ってたけど、こんな所で繋がっているんだ。
それに気がついた瞬間、嬉しくなります。



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