◇1 躁鬱、前夜
「お願いだから、私のことを殺して?」
そう母に頼みました。綺麗な春の日でした。
子どもの頃から、他者の評価に敏感でした。
「これをしたら、どう思われるだろう?」
「こんなこと、恥ずかしくてできない!」
そういう風に考え、新しい行動を起こせないという傾向がありました。
それでも中高時代、もちろん小さな問題はたくさんあったけれど、
どうにか対処し、大きな不適応を起こすことなく、卒業しました。
でも、大学に入ってから、全てが上手くいかなくなりました。
どうしても、「普通の大学生」ができませんでした。
人との関わりが多いアルバイトが続かない。
サークル活動でたくさんの人と接することに異常に疲弊する。
人と話すことに体力を消耗し、家に帰ると何もできなくなる。
「何でこんなに疲れるんだろう?」「何でみんなみたいにできないんだろう?」
考えても、答えは出ませんでした。
その時は、精神疾患に対して偏見を持っていました。
「うつ病なんてただの甘え」と思っていました。
薄々、気づいていたとは思います。
でも、正面切ってそれを認める勇気はありませんでした。
捌け口になったのは、食べ物でした。
家族に隠れて、家中の食べ物をかき集め、泣きながら食べ漁りました。
帰り道、どうしても我慢できなくて、人目もはばからず、電車の中で菓子パンを何個も口に運んだこともあります。
だましだまし、なんとか取り繕っていましたが、そのうち、限界が訪れます。
アルバイトに出勤できず、連絡なしに出勤しなくなりました。鬼のように電話がかかってきましたが、電源を切って無視しました。
サークルに行けなくなりました。辞めるために話し合いが必要だと言われましたが、約束をすっぽかしました。
はじめは優しかったですが、連絡を一切返さない不誠実な私の態度に対して、だんだん怒りを向けられるようになりました。当たり前のことです。
メッセージを見るのが嫌になり、LINEのアカウントを消しました。
中高時代の親友とすら、連絡が取れなくなり、孤立しました。
知り合いと顔を合わせるのが怖くなり、大学のある駅まで向かうことはできるのに、どうしてもキャンパスに入れず、引き返すということを繰り返しました。
こうして、社会との繋がりを一切絶った私は、「もう死ぬしかない」という考えに至り、自宅で大量の風邪薬を服用しました。
そのときは知りませんでしたが、オーバードーズは簡単に死ねる方法では全くありません。
ただ猛烈に気持ち悪くなって、大量の虫の幻覚を見ただけでした。
2週間以上入浴せず、ただ自宅で食べて寝ていただけだった私は、ついにぶっ壊れました。
死ぬこと以外、考えられませんでした。でも、実行する勇気がありませんでした。後遺症が残るかもしれない、その1点だけで引っかかっていました。
「お母さん、生きてて楽しい?私は全然、楽しくない。お願いだから、私のことを殺して。」
そう、頼みました。