北照-自由ケ丘 2010年センバツ2回戦
2009年、夏の南北海道大会決勝。
私が2番手に予想した北照と、7番手に予想した札幌第一の一戦。北照勝利を予想しましたが、終わってみれば8-4で内容は札幌第一の完勝という結果に終わっています。
この札幌第一の甲子園での激闘は、以下のページで書いておりますので、よろしければご覧ください。
北照の河上敬也監督は、2005年夏・2007年秋に続いて、またしてもあと1勝のところで甲子園の切符を逃す結果となり、思い悩みました。
ふと甲子園を見てみると、札幌第一は掛端亮冶、旭川大高は柿田竜吾と、(この年はたまたま)絶対的エースが君臨するタイプのチームが甲子園に出場しているではありませんか。
「これだ!」
河上監督は、絶対的エースの不在こそが負けた原因だと考えてしまったようです。私はそういうわけではないと思うのですが。
この年の秋、エースの又野知弥(のちにヤクルト)には独り立ちを強く求めました。小樽支部予選こそ控え投手も登板させて勝ち上がりますが、全道大会では「権藤、権藤、雨、権藤」ばりに又野に完投を要求したのです。
河上監督自身が「又野と心中」という言葉を使っているくらいでした。
全道では2回戦からの登場だった北照は3勝を挙げて決勝に進出し、公立の雄・札幌南と対戦します。
札幌南には2年生右腕・原口紘太朗という絶対的エースがいましたが、こちらは1回戦からの登場で、ほぼ1人で投げ抜いています。
万全の状態であれば、素晴らしい投手戦が見られたことでしょう。
しかし「お疲れモード」のエース同士の対戦は、大変申し訳ありませんが、私が見た秋の決勝の中でもワースト3に入るくらいの内容でした。
まずいきなり選手治療のため、試合開始が10分以上も遅れます。又野が爪を割り出血してしまったとのことでした。
ようやく試合が始まったと思ったら、やはり又野は負傷の影響で制球が定まりません。一方の原口のほうは疲労のせいか、こちらも本来の調子には程遠い出来。
原口は試合後に「肩が厳しい状態だった」と認めています。
4回を終えた時点で6-4と北照が2点リードでしたが、投手が不調であるだけでなく守りのミスも連発し、打撃戦というよりは自滅戦にも等しいものでした。
北照はとうとう5回頭から、ライトを守っていた技巧派左腕の千葉竜輝がマウンドへ上がり、又野はそのままライトに回ります。
これでようやく北照の守りは落ち着きましたが、札幌南はその後も守りのミスが出てさらに失点を重ねてしまい、結局11-5で北照が勝ちました。
試合の内容はどうかと思いますが、北照にとっては2000年センバツ以来10年ぶりの嬉しい甲子園の切符なのでした。
神宮大会では、ブラスバンドやチアガールまで引き連れてきた帝京(東京)を相手に、完全ビジター状態となった北照が3-6で敗れました。
この年の帝京は強かったので負けたこと自体はある程度仕方がないのですが、神宮でも又野と心中することしか考えておらず、千葉を試すという発想が全くない点に不安を感じずにはいられません。
当時のブログにも書きましたが、いくら監督が心中を希望したとしても、やむを得ない事情で控え投手が必要になる場面もあるのですから。
神宮大会は控え投手を試す絶好の機会ではありませんか。なぜそれをやらないのか、私は今も理解に苦しんでいます。
センバツでは初戦で東北大会チャンピオンの秋田商と対戦し、2-0で勝利。又野は5安打10奪三振で完封でした。
打線は1回裏に2点を先制したものの、2回以降はわずか1安打に封じられます。しかし初戦はこんなものでしょう。それよりも、守りが引き締まっていたのが嬉しかったですね。
2回戦の対戦相手は、一二三慎太(のちに阪神)らを擁する東海大相模を破って勝ち上がった自由ケ丘(福岡)。
秋は福岡県大会を制し、九州大会では鹿児島城西(鹿児島2位)に4-0、明豊(大分1位)に2-1で勝ち、準決勝で嘉手納(沖縄2位)に0-4で敗れています。
九州大会4強の成績でセンバツに選ばれました。
自由ケ丘は春夏通じて甲子園初出場ですが、末次秀樹監督は柳川(福岡)を甲子園に5度導いた経験があります。現在は真颯館(福岡)で監督を務めています。
そんな自由ケ丘戦は、私が抱いていた不安、新しく見出した希望、あらゆるものが見られた好ゲームとなりました。
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