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札幌日大 甲子園から遠ざかった22年間
2024年、夏の甲子園初出場を決めた札幌日大高校。優勝監督インタビューでは、森本琢朗監督に笑顔はありません。
シルバーコレクター。
北海道内では、札幌日大はこう呼ばれ続けてきました。
2002年にセンバツ出場を果たしてから22年もの間、多くの期間で北海道内でも上位に挙げられる高校でありながら、なかなか2度目の甲子園に手が届きません。
北海道は全国で唯一、秋の大会も一発勝負で1敗すら許されず、無敗のまま優勝しないと一般枠では甲子園に出場できない地区です。
そんな北海道で、札幌日大は夏と秋の決勝戦で5連敗を喫していました。
2012夏 5-6札幌第一
2016夏 2-7北海
2016秋 2-8札幌第一
2019秋 8-12白樺学園
2021夏 6-8北海
上記の5試合を含め、札幌日大が22年間どのような苦労をしてきたか、振り返ってみましょう。
札幌日大は1987年に開校された比較的新しい高校。私は1997年2月に受験しましたが、公立の小中学校では一度も見たことがない、豪華な1階エントランスホールに圧倒されたことを今でも覚えています。
合格はしましたが公立高校に進学しましたので、私は札幌日大の卒業生とはなっていません。
苫小牧工を指揮して4度甲子園に出場して勝利経験もある金子満夫監督を1999年に招聘し、2001年秋の北海道大会を初めて制しました。
翌2002年センバツは島崎圭介監督(現・北海道北広島市議、北海学園大野球部監督)が指揮し、初戦で津田学園(三重)に2-8で敗れました。
金子監督は毎日オリオンズに所属したこともある元プロ野球選手で、苫小牧工時代の教え子には、1988年に首位打者を獲得した高沢秀昭(元ロッテ、広島)らがいます。
その金子監督が2006年に勇退すると島崎監督が2012年まで監督を務め、その後森本琢朗監督が監督となりました。
島崎監督時代は駒大苫小牧の全盛期とも重なり、北照も京都を始め関西から有力選手を多数獲得していた時期。
札幌日大も毎年のように優勝候補の一角ではありましたが、これらの高校の後塵を拝すことが多かったです。
森本監督時代はもう駒大苫小牧は香田誉士史監督が退任しており全盛期の力はすでになく、北照も相次ぐ不祥事で力が落ちていました。
一時は駒苫旋風に呑み込まれていた北海が再び復活を遂げてきた時期に当たります。
着々と力を蓄えていた札幌日大も、北海道内の覇権争いに名乗りを上げました。
2012年夏、いよいよ南北海道大会の決勝に駒を進めた札幌日大。指揮をとるのは森本監督です。
対戦相手は札幌第一。多くの高校野球雑誌が北海・北照に続く優勝候補3番手に挙げており、前評判で言えば札幌日大のほうが下でした。
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