鵡川-三木 2002年センバツ1回戦
21世紀、すなわち2001年のセンバツに始まった「21世紀枠」。困難な条件の克服や地域への貢献、文武両道など戦力以外の特色を加味し、2校選ばれる特別枠です(一時3校に増えましたが、2024年現在は再び2校に)。
野球の実力が低い高校が選ばれることも少なくないため、いまだに反対意見も根強い枠ですが、この21世紀枠が取り入れられた理由はいくつか考えられます。
何といっても春は夏に比べて入場者数がかなり少ないということ。高校野球は入場料収入が大きな収益源であり、それをもとに球児たちの交通費や宿泊費を負担しています。
つまり入場者が増えれば、高校球児のためになるわけですね。
例えば、これより少し前に行われた、1999年センバツ2回戦の駒大岩見沢-市川の試合。北海道チャンピオンと関東チャンピオンの好カードですが、主催者発表では観衆6,000人。ただし、この頃は水増し発表が慣例となっているので、実数はもっと少ないと思われます。
試合の映像を見ても、小雨が降りしきり照明が点灯する中、ガラガラのスタンドが物悲しい雰囲気を漂わせています。第1試合が長引き、15時58分試合開始と遅れたこと、最高気温が8度と冷え込んだこと、そして雨が降っていることなどが影響したものと思われます。
「関西の方は地元近畿勢の試合にしか興味がないのかな」と思わせるくらいのガラガラぶりです。
21世紀枠で選ばれた高校は、多くの場合は初出場。久しぶりの出場ということもあります。
伝統校が選ばれる傾向が強く、数多い卒業生が全国に散らばっていますので、甲子園出場となればスタンドに大応援団がやって来るのが通例です。寒かろうが雨が降ろうが、スタンドを埋め尽くしてくれるでしょう。
導入初年度である2001年は宜野座(沖縄)がベスト4に進出し、早くも成功の予感を感じさせた21世紀枠。2年目の2002年に、初めて北海道から鵡川(むかわ)が選ばれました。
鵡川町はししゃもとタンポポの町として有名。合併後のむかわ町では、2017年にむかわ竜の化石が発見されており、恐竜の町としても知られます。
私は鵡川町で売っている「たんぽぽ公園」という、クリームが入ったスイーツが大好きで、父が仕事で鵡川町の近くまで行くときにはよく買ってきてもらっていたものでした。
クッキーとケーキの中間のような絶妙な食感がたまりません。
1990年代の鵡川は、甲子園どころか南北海道大会にすら進めない弱小校。室蘭支部予選でコールド負けが当たり前でした。
それどころか、鵡川町は過疎化に苦しんでおり、鵡川高校の生徒数は減少、野球部も存続が危ぶまれるほどでした。
当時は非常に厳しい条件があるため連合チームを組むことはほぼ不可能、部員が9人に満たなければ公式戦に出場できないという時代です。
鵡川町は座して死を待つことを選ばず、この状況を打破すべく積極的に動きました。
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