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生きるために生きることの虚しさと、心地よさ

 私は精神薬を飲む。今飲んでいる精神薬は甘い。さとうきびの味がする。まるで茶道で端の人からゆっくりゆっくり丁寧なお作法で回ってきた、正座の足の痛さと相殺する甘さの砂糖菓子の味。私はそれを水で流し込む前に、唾液で少し溶かして味わうようにしている。それはおばあちゃんがくれたみたいな懐かしい甘さ。
私はさとうきびを食べたことがない。

 私は今、なるべくストレスから逃れ、自らをできるだけ快適な状態にしておくことを優先事項として生きている。自らの特性を理解し、慎重に慎重に自分をコントロールする。私は衝動的な行動で無駄を働いたり失敗して罪悪感を抱きやすい人間なので、"今何をしたいか"よりも"今どうしておけば快適でいられるか"を見つめるように心掛けている。そのことは段々と上達してきていて、私はわたしを殺すのが確実に上手くなっている。薬を毎日決まった時間に飲むのが面倒臭いという気持ちはとっくの昔に呆気なく消え去った。
 だから、今日選んだ服が本当に着たい服なのかわからなくなってきている気がするし、自分の発した言葉が自衛のための建前なのか本音なのかわからなくなってきている気がする。わたしが生まれつきこだわりが強い人間であっただけで、みんなそんなもの最初からわからないまま生きているのかもしれない。わたしは、だんだんだんだんわからなくなっていくこの感じが、心地良い。選ぶより選ばされる方が生きやすいとはこのことだろうか。

 ただ、頭に浮かんでは消えていく統一性のない言葉たちだけが、私が忘れてはいけないわたしであるような気がして、こうして文字を書く。

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