見出し画像

読書は速読で十分?それ、危険です。

ヒトラーの読書法

ヒトラーは大の読書家でしたが、その読書法は速読でした。
世の中には速読していい本と、そうでない本があります。

  1. あらかじめ関連する本などを読んでいて知識がある

  2. 内容が極めて薄っぺらい

このどちらかに当てはまる場合は、斜め読み、拾い読み、速読などでも本の内容を理解することが可能です。

世の中には読む価値のない、しょうもない本が少なからず存在します。
そういったくだらない本を判別するのに速読は役に立ちます。
軽く目を通して読む価値がないと思ったら、そっと本棚に戻しましょう(既に購入済の場合は処分しましょう)。

しかし難解な本や、古典作品、小説などを、速読や拾い読みで理解できるなどと思うのは傲慢です。

本は単なる情報収集の道具ではありません。

長年愛され、専門家によって研究され続けてきた古典作品、名著には「汲めども尽きぬ泉」と称されるような底知れぬ深さがあります。
それをサッと斜め読みしただけで完全に理解できるわけがない。

難しい本は、一回で理解できなくてもいいのです。
理解できなくてもとりあえず試しに読んでみる。
よく分からないなと思ったら、一旦脇に置いておき、別の本を読む。

関連する本を読んだり、その本に関する入門書や解説本を読んでみたり、全然関係ない本を読んだりしながら、後でもう一度脇に置いた本を読み返す。
そうすると以前は理解できなかったのが不思議と少しずつ理解できるようになります。

自分にとって都合のいい所だけ切り取って拾い読みする行為は、ヒトラーの読書法であり、危険です。

ヒトラーは速読によって自分の好きな箇所、共感できる箇所のみを拾い読みしました。
自分自身の解釈を強化し補強するために本を読み続け、自分の演説に都合のいい部分だけを頭に入れました。
そういう読み方をすると、どんどん自我が肥大化していき、間違った方向に突き進んでいきます。


齋藤 孝 著「読書する人だけがたどり着ける場所」

shinkuさんが書かれた記事を読ませていただき、私も本棚から取り出して久々に読み返しました。

齋藤孝さんは「ネット、SNSが悪いと言っているのではない」とフォローしていますが、現在のSNSやネットはますます悪い方向に向かっていると私は感じます。

ネットって、自分に都合の良い意見だけを拾い読みするのに非常に適しています。
嫌いなやつのことは、みんなで一丸となって叩きまくって、自殺するまで追い込む。
ネットに入り浸って、自分と同意見の発言だけ拾い読みしていけば、歪んだ正義感をますます助長させることになります。

ネットで文章を読む行為は「消費」であるのに対して、読書は「著者との対話」であり「体験」であると齋藤さんは言います。

著者をリスペクトして「さあこの本を読もう」という時は、じっくり腰を据えて話を聞くような形になります。
ちょっと退屈な場面があっても簡単に逃げださない。

著者の思考、世界観をいったんはそのまま受け入れる。
その世界にどっぷりはまってみる。
そうすれば読書は「体験」として刻み込まれ、深く物事を捉える力が身に付いていきます。

いいなと思ったら応援しよう!