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才能もなく努力もできなかった小学校時代
私が小学生の頃の思い出話に、少しだけ付き合ってもらえないだろうか?
***
私は体育が壊滅的に苦手だった。
走るのが苦手、球技が苦手、泳ぐのが苦手、誰かと競うのが苦手、
集団で協力するのが苦手。
ありとあらゆる運動が苦手だった(今でもそれは変わっていない)。
しかし、体育で挫折を感じたことはなかった。
なぜなら最初から「自分に体育は向いてない」と分かり切っていたからだ。
挫折とは、何かに挑戦し、壁にぶつかって初めて感じる。
はじめから自分には向いていないと諦めて、挑戦すらしなければ
挫折することもない。
***
私は小学生の頃、習い事で空手をやっていた。
4年間続けたが、楽しいと思ったことは一度もなかった。
ただひたすら苦痛なだけだった。
ゴワゴワした胴着を着るのも嫌だったし、冬に裸足になるのも辛かった。
誰かと組手(1対1で対戦する試合)をやらされるのは地獄だった。
組手で勝ったことはほとんどなかった。
年下の低学年の子にも勝てなかった。
周りの小学生たちはどんどん昇段審査に合格して黒帯になっていったが、
私は最後まで黒帯を取れずに終わった。
正直なところ、黒帯を取りたいとも思っていなかった。
絶望的に空手に向いていなかった。
水泳も全く身に付かなかった。
水泳教室の習い事に参加した時、私は当時小学4年生だったが、小学校1~2年のコースに混ぜてもらうことになった。
そこで行われたのは、顔を水につける練習だった。
周りの低学年のチビっ子たちが楽しそうに水の中に潜る一方で、
私は顔を水につける練習を繰り返しやらされた。
水泳教室に通っても、結局は泳げるようにならなかった。
それでも練習の甲斐あって、水の中に潜れるくらいまでは成長した。
空手も水泳も、年下の子たちに追い抜かれていったわけだが、
そのことに対して悔しさを感じたことはなかった。
なぜなら最初から「自分はできない」と諦めていたからだ。
空手も水泳も大嫌いだったし、
上手になりたいとも上手になれるとも思わなかった。
ひたすら苦痛なだけだった。
だから低学年の子に負けても、挫折を感じたことはなかった。
できないことが当たり前だと思っていた。
***
私がはじめて挫折を感じたのは、音楽だった。
私は幼い頃からエレクトーンの習い事をさせてもらっていた。
だから小学1年の時点で楽譜が読めたし、音感も少しだけあった。
音楽の成績は常に良かった。
自分は音楽が得意なんだと、ずっと思っていた。
私の小学校の校歌は、ピアノの伴奏を5年生がするというのが慣例だった(他の小学校がどうしているのかは知らない)。
5年生になった時、私は校歌の伴奏を自ら名乗り出た。
私には音楽の才能があるから、私が適任なんだと思っていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1731219336-ZxGLRvC9FINhJTUWYdqsBuze.jpg)
ピアノの練習は自分なりに頑張ったつもりだったが、なかなかうまくできるようにならなかった。
はじめて本番を迎えた時は、まだ全然弾けるようになっておらず、ひどい有様だった。
その後も練習を繰り返してなんとか弾けるようにはなったものの
だいぶ時間がかかってしまった。想像していたよりずっと難しかった。
当然ではあるが、ピアノやエレクトーンの習い事をしていたのは私だけではなく、他にもピアノが弾ける友達は何人もいた。
そういった友達は皆、校歌をいとも簡単に弾いてみせた。
別に難しい楽譜ではないのだ。
ただ単に、私の練習量と技量が圧倒的に足りていないだけだった。
自分には音楽の才能があると思っていたが、それは勘違いだったということにようやく気づいた。
私が頑張ってもできないことを、周りの友達が簡単にやってのけたことで、多少の努力ではどうにもならないことがあるんだということを知った。
***
自分に音楽の才能がないと気づいた時はさすがに悔しかったが、
だからといって練習量を増やすとか、
もっと色んな音楽に触れるとか行動することはなかった。
私は自分に才能がないことをあっさり認めて、努力することを放棄した。
自分にはいくつかの属性があると思っていた。
例えば「勉強が得意」「本を読むのが好き」「体育が苦手」
などといったことだ。
その中の一つに「音楽が得意」があると思っていたが、
その属性が消えたのだな、と思った。
しかし音楽を演奏することは嫌いではなかった。
少なくとも運動するよりはずっとマシだったので、中学では吹奏楽部に入部した。
やりたい楽器は何もなかった。
結果的に1年では打楽器、2年ではバスクラリネット(木管楽器)、3年ではチューバ(金管楽器)という見事にバラバラな楽器を担当することになった。
要は人気がなかったり、人数が不足しているパートをたらい回しにされたのだが、それでも補欠要員として役に立てている気がして、悪い気はしなかった。
練習は厳しかったが、不思議と苦ではなかった。
吹奏楽部の仲間たちは皆、音楽が好きだった。
楽器が好きな人、音楽を聴くことが好きな人、演奏することが好きな人、歌うことが好きな人。
私にはそういうのが何もなかった。
私は特別に音楽が好きというわけではなかった。そういう意味でも才能の差を感じた。
自身の才能の無さをこれでもかと見せつけられても、嫉妬の感情は沸かなかった。
結局のところ、私は音楽に関心が無かったのだ。
音楽の才能を持つ人を羨ましいと思ったこともなければ、尊敬するということもなかった。
しかしピアノや吹奏楽の練習をすることは苦痛ではなかった。
それに音楽の成績はそれなりに良かった。
そういう意味では最低限の才能はあったとも言える(少なくとも運動をすることに比べればずっと)。
「特別に秀でてもいなければ、大好きというわけでもないけれど、淡々と続けられる」というのは、それはそれで一つの才能と呼べるのかもしれない。